三菱商事で得た起業のヒント 将来の妻が入社して急成長したビジネス

若き頃の田崎忠良


英国での起業とビジネスを通じた在英日本人の支援


英国で立ち上げたスーパーマーケット(左)、不動産会社(右)

1974年11月、独立後は資金がかからない事業から始めました。いくつかの小さいビジネスを成功させ、十分な資金を確保した後に日本食レストラン、日本食を中心とするスーパーマーケット、住宅の修繕や不動産の事業を中心に会社を展開。他にもカラオケバーやナイトクラブなども手掛け、英国に進出する日系企業の増加にともない、英国で日本人向けにさまざまなサービスを提供するニッチかつ草分け的なグループ企業として順調に業績を上げていきました。

また、当時はインターネットはおろか、現地在住の日本人向けのローカル情報誌すらなかった時代です。在英の日本人駐在員やその家族は日本語の情報を求める人が多く、日本語の情報提供サービスを立ち上げればニーズがあるだろうと考え、NHKから許可を得て録音したNHKニュースを電話をかけて聴けるサービスの提供を始めたところ高い支持を得ることができました。

このように、現地の日本人を支援するためのさまざまなアイデアと、ビジネスパーソン時代に学んだ需要と供給の仕組みとノウハウを自身のビジネスにも生かし、事業を拡大させていったのです。

そしてある日、商工会議所の会合に出席した際、商工会議所の理事長から「イギリスで優秀な人材を採用する手段がなく困っています。田崎さん、良い人を知っていたら紹介していただけないですか?」と尋ねられました。

私はケンブリッジ大学に入学する前に、現地の保護者にアルバイト先を紹介してもらい、仕事を紹介してくれたことに感謝した経験もありました。人材を紹介するビジネスを立ち上げればさらに日系企業に支援ができると考え、1975年に人材紹介会社のジェイエイシーリクルートメント(以下JAC)を立ち上げたのです。JACには、現地で活躍する 日本(Japan)の方の代理人(Agency)、相談相手(Consultancy)として役に立ちたいという想いを込めています。

優秀な女性の入社を機に、飛躍的に成長を遂げる人材紹介事業

しかし、JACを立ち上げたしばらくの間は事業を任せられる人材が定着せず、人材紹介事業は伸び悩んでいたところ、あるビジネスの会合で、一人の女性を紹介されたのです。

彼女は現地の日系の銀行に勤めていたのですが、非常に優秀な人物だったのでスカウトし入社してもらうことになりました。1981年のことです。そして、彼女に人材紹介事業を任せたのです。

人材紹介事業のオフィスは私が経営していたスーパーの2階にあった、お世辞にも綺麗とは言えない机と電話があるだけの会計事務室の一角。それまではロンドン市内の洗練された日本の銀行で働いていた彼女にとって、この環境の変化は大きなショックだったでしょう。

しかし、彼女は非常にポジティブで「これはきっと神が私に挑戦を与えてくれているに違いない」と、人材紹介事業を成長させることをチャレンジと捉えてくれたのです。人材紹介のノウハウがないにも関わらず、事業を前進させるために経験したことない営業活動に何足もの靴をすり減らしながら奔走。懸命な努力により、人材紹介事業を瞬く間に成長へと導いたのです。

以来、日本人が英国で立ち上げた在英日本人向けの食事、住居、就職の3種のビジネスのグループ企業として飛躍的に成長を遂げていきました。後に私と彼女は公私ともにパートナーとなり、夫婦で事業をグローバルに発展させていくことになります。


転職希望者と面談する妻でJAC会長の田崎ひろみ(1982年 左側)

ところが1982年のある日、スーパーの責任者が血相を変えながら私のオフィスに駆け込んできました。「田崎さん、大変です! 日本から仕入れた冷凍食品のコンテナ船が港に停泊したまま納品されません。港湾局に連絡しても取り合ってもらえず、あと3日以内に届かないと保冷剤が切れて全て廃棄処分することになり、膨大な損失を出すことになります!」

順調に拡大してきたビジネスに、初めて大きな危機が訪れたのです。

連載:グローバルリーダーの育成法
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