神谷氏は、1985年に日本ユニシスに入社し営業として活躍。その後、94年に神谷コーポレーションへ入社してからは住宅業界の掟を次々と破る「異端者」として手腕を発揮し、2005年に同社を代表するブランド商品となる「フルハイトドア」を発表して以来、デフレにあえぐ住宅業界で同社の舵取り役を務めてきた。
異端者・神谷氏の経営思想の基盤とは。
伊藤:御社の代名詞ともいうべき「フルハイトドア」の開発当時のことを聞かせてもらえますか?
神谷:私が神谷に入社したのは1994年のことでした。当時はOEM、いわゆる単なる下請けでの商品製造が主軸で、顧客は住宅メーカーが主軸。当社営業もそうした住宅メーカーの要望を聞いて商品を納めるだけで、本当のお客様である施主のニーズを無視した商品ばかりがつくられていました。
伊藤:そこから、フルハイトドアというブランドの開発に至った経緯は?
神谷:1997年に消費増税があり、翌年から日本はデフレ時代に突入。それを受けて住宅業界でも「とにかく安く」という考えが蔓延していました。
ところが考えてもみてください。住宅は一般消費財と違い、ほとんどの人にとって一回きりの購入になる「耐久消費財」。にも関わらず、安ければよいという考え方で動いている業界に大きな違和感を感じました。
そして、住宅業界というマーケットは分散マーケットで、現在でも約5万5000社のビルダーがいるといわれています。つまり、大手といわれる住宅メーカー全てを合わせても全体シェアの3割にも満たない。つまり、大手メーカーとだけ取引しても、全体の3割からしか売上をたてられないということです。そこに未来はないな、と。
「大手に売らない」「先払い」。次々飛び出す掟破りワード
伊藤:神谷さんとの出会いは私がやっている経営塾でしたよね。私が出した問題に鋭い返答をされていたので、驚いたのを覚えています。
神谷:私もあのときに「伊藤さんもやはり『掟を破る人』なんだな」と感じました。私がいるのは住宅業界ですが、業界には独自のルールがありますよね。これが業界や、そこで働く人の考え方を「できない」「ダメ」と縛りつけてしまっている。
私が神谷コーポレーションに来たのは1994年のことでしたが、それまでは全く異なるコンピュータの分野で営業職をしていたので、まさに「よそ者」でした。だから、「なぜこんなルールがあるんだ?」と首をひねることも多かったですね。
伊藤:理由を突き詰めてみると「ずっとそうだから……」と思考停止していたりなんですよね。当初の業界での反応はどうでしたか?
神谷:もちろん逆風はありました。フルハイトドアができてからは、大手のメーカーに量を売るのを“あえて”やめました。大手にたくさんの商品を納めてもマーケットに占めるシェアとしては大きくありませんし、有名なハウスメーカーが使う商品は施主にとって「神谷のフルハイトドア」ではなく「どこそこのハウスメーカーのドア」でしかない。住宅業界の真のお客様である施主=エンドユーザーにアプローチできず、認知してもらえません。