派遣社員から社長に。ポーラ傘下ブランドを育てる山下慶子の信念

DECENCIA代表取締役社長の山下慶子


苦悩から救ってくれたのは社長だった

ブランド創業期をがむしゃらに働き抜いた山下だが、創業1〜2年がもっとも辛い時期だった。社内ベンチャーだからこそ、まわりに手本となる事例もなければ、相談できる上司もおらず、少ないメンバーとともに先の見えないブランドを作っていた。

「ターゲットは不明確で、壮大なビジョンがあるにもかかわらず、どこに向かえばいいかわからない。いくら頑張っても、なんの価値も生み出せていないと感じていました」

ブランド創業2年目の08年には突然耳が聞こえなくなり、過労性の鬱と診断されたこともあった。

そんな山下を救ったのが、当時DECENCIAを率いていた2代目社長の小林琢磨(現オルビス社長)だった。もがき苦しむ現場を見て、小林はブランドの価値や存在意義など、ブランドのマーケティング戦略を示してくれた。

最初は反骨精神から「人に決められること」をかたくなに嫌っていた山下も、「手伝ってくれたおかげで楽になって、そこから動き出せると思うようになりました」と話す。「大きな船の行き先を決めてもらったような感覚。その中で、オリジナリティーを出していく環境を用意してくれたことは本当にありがたかったです」

その後、彼女はCRM(顧客関係管理)の専属担当となり、ダイレクトマーケティングの基本を学びながら、トライアンドエラーを週次で繰り返し、次第に売り上げを上げていく。


山下のクリエイティビティを支える書籍たち

山下が特に注力したのは、クリエイティブだ。顧客はどんな広告に感動して、どこに嘘を感じるのかを理解するために広告やウェブメディアを見漁った。当時はダイレクトメールや会報誌、オフィシャルサイトのコピ-もすべて自身が手がけ、今でもリリースのテキストは自ら書いている。こうしたクリエイティブ面では、共同生活で自然と身につけたアート感覚が役に立ったという。

「どこかで替えのきくブランドやメッセージだけは作りたくない」という強い思いのもと、クリエイティブと事業をうまく融合することにも成功し、結果としてブランドは成長。

17年、ポーラ・オルビスグループが創業100周年に向けて刷新した企業理念は「感受性のスイッチを全開にする」。山下が目指している未来と同じ方向で、「少しずついろんなピースがはまりはじめました」と語る。ブランドは成長を続け、山下は18年1月にDECENCIAの社長に就任した。

「ブランドは変わり続けてもいい」という社長の信念

就任して1年、山下は現在の信念をこう語る。

「ベーシックながらも、アップデートし続けること。ブランドは止まっているだけで後退してしまうものです。時代を踏襲するのではなく、誰も見たことがない景色を最初に作りたいんです。もうひとつはスピード感を持つこと。環境の変化にいち早く気づいて、適切なコミュニケーションをとること。予定調和ではなく、新しいものを生み出すアイデーションを大事にしています」
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文・写真=角田貴広

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