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DECENCIA代表取締役社長の山下慶子

化粧品大手ポーラ・オルビスホールディングスの子会社で、敏感肌に特化した「DECENCIA(ディセンシア)」というブランドがある。

2007年にスタートしたグループ傘下の社内ベンチャー第1号で、敏感肌専門のEC専売ブランドとしてフェイスクリームとボディクリームからスタート。13年かけてブランド規模を拡大し、今年9月には伊勢丹新宿店に直営店舗を設け、ブランド最高峰シリーズ「ディセンシー」の先行販売を開始する。


ディセンシー

そんな化粧品業界のベンチャーブランドの成長を支えた一人の女性がいる。現社長の山下慶子だ。派遣社員を経てグループへ入社し、DECENCIAの立ち上げに参画。誕生から数々の苦労を乗り越えてブランドを成長させ、18年1月に社長に就任した。

山下はこれまで、中国へ留学したり、派遣の仕事をしながらアーティストと共同生活をしたりとユニークなキャリアを積んできた。趣味は土器や石を集めること、バイブルは1963年創刊の伝説的雑誌「太陽」。創刊号にあった編集長・谷川健一の「創刊のことば」が、16年に行ったDECENCIAのリブランディングを支えたと話す。

創業以来ブランドの成長を支えてきた山下は、その独自感性をどのように身につけ、今のブランド作りにどう反映してきたのだろうか。


DECENCIAのリブランディングに影響を与えた雑誌「太陽」

思いつきの中国留学が、生きづらさから自分を救ってくれた

「もともとマジョリティよりも、マイノリティなものに興味がありました。決められたゴールに向かって課題解決をするのが苦手で。別に美大に通ったわけでもないし、アート思考を学んだわけでもないですが、昔からまわりにいる人はアーティストばかりだったんです。何がクールなのかとか、とにかく真実を見たいとか、そういう思いが強かったんです」

なぜそう考えるようになったのか。聞くと、その背景には小学四年生のときに転校した熊本・天草での学生時代が少なからず影響しているという。

「新しい土地での生活だったので、なにごとをするにもコンテキストを理解しないと前に進めませんでした。けれど逆に、腹落ちしたところからどんどん好奇心が広がっていったんです。だから、高校では押し付けられるだけの校則に反抗していたし、マイノリティなものがクールだという気持ちもありました」

鹿児島女子大学文学部を卒業した山下は、98年に北京清華大学へ語学留学をする。留学先が中国だったのは「誰も行かなかった」から。思いつきのこの行動が彼女の人生を大きく変えることになった。

「20代の頃は特にやりたいこともなく、生きづらさを感じていたのですが、中国ではじめて『生きやすい世界があるんだ』と気付いたんです」

文・写真=角田貴広

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