農場でのアルバイトを経てつかんだ、世界最高峰の大学への道

農場の下宿先でアルバイト仲間と共に(左端が筆者)

1963年6月、猛勉強の末、通常2年かかるパブリックスクールを1年で卒業しました。パブリックスクールに在学していた期間は人生の中で最も濃い時間で、バイリンガルになれたと言っても過言ではないほどの英語力を身に着けることができたことも大きな成長でした。そこから、ケンブリッジ大学を目指す重要な期間に入ります。

英国では大学に入学するにはGCE-A Level(General Certificate of Education Advanced Level)という資格が必要になります。これを卒業と同時期の6月に受験し、7月に結果が出て合格すれば大学に進学できる仕組みです。GCE-A Levelは、日本のセンター試験に近いものと理解いただければと思います。

英国の一般の大学ではGCE-A Levelの資格を取得すれば同年の10月から入学できるのですが、当時のオックスフォードとケンブリッジの志願者の場合はGCE-A Level取得後に願書を出し、11月に試験を受け、翌年の10月に入学となります。この中等教育(パブリックスクール)の卒業からケンブリッジとオックスフォードの入学まで1年の空白期間は、英国では「ギャップイヤー」と認知されています。

ビートルズに目も向けず農作業に没頭する日々

努力の甲斐もあり、GCE-A Levelの試験に合格しケンブリッジ大学に願書を出しましたが、資金が底をつきかけていたこともあり、ギャップイヤーの間に少しでも学費の足しにするためにアルバイト先を探すことにしました。

現地での保護者に相談したところ、パブリックスクールの近くにある酪農家の農場を紹介してもらい、そこの下宿先に住み込みで働くことになりました。保護者が仕事を紹介してくれたありがたみを感じたことも、将来人材紹介会社を立ち上げるルーツだったのかもしれません。

農場では干し草の刈り取りと管理、干し草を乳牛に与えて世話をすることまでが私の主な仕事でした。他にも、当時は搾乳機などないので自ら乳しぼりをし、生乳を清浄化して瓶詰め、農場主と牛乳を販売する仕事もありました。牛の世話をしていた際、牛に後ろ脚で蹴られ、牛の後ろ足の横に立ってはいけないということも知りました。

わずかながらの賃金でしたが、学費の足しにできることが幸せでしたし、同時に働いてお金を稼ぐことの大変さを理解し、留学資金を出してくれた祖父と母への感謝がさらに深まりました。

同時期に、英国では62年に活動を開始したリヴァプール出身の4人組のバンド、ビートルズが人気を博しており、彼らに魅了された若者たちは青春を謳歌していました。私はそれを気に留めることなく土まみれになりながら農作業と勉強に没頭していたのですが、後に彼らは世界を席巻するほどの存在になり、英語が世界共通語であることと、教育だけでなく文化面でも英国の強さを知ることになるのです。

農場の経験が生きたケンブリッジ大学の面接
 

農作業中の筆者(手前右)

農場を運営していたのは、偶然にもケンブリッジ大学を卒業したJohnさんという方でした。彼は、さまざまな国籍の留学生に働き口を提供していただけでなく、夜に英語教室も開いていました。

教室では大学進学に役立つ本に沿って留学生たちがJohnさんを囲んで議論したり、Johnさんから英国の政治や文化などについて教えてもらうなど、パブリックスクールでは学べない知識と「生きた英語」を学ぶことができました。パブリックスクールでは勉強の虫で、あまり学友たちと交流ができなかったのですが、農場では多くの留学生の友達ができ、この農場での経験により「バイカルチャー」の素養も身に着けることができたのです。
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文=田崎忠良

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