独自の美学を具現化し美しくイマジネーションに富んだ一皿は、いつでも味わう者に新鮮な驚きと悦びを与える。そんなミリ単位で計算し尽くされた芸術のような料理を生み出しているのが、オーナーシェフの米田肇だ。
その米田が、30歳未満の次世代を担うイノベーターを選出する企画「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」のフード部門アドバイザーに就任。
大学卒業後、一度はコンピューターエンジニアの道へ。26歳で料理の専門学校に入り、修業を積んだ。「宇宙で料理をつくってみたい。本気でそう考えているんです」。そう語る彼はいったいどんな思いで料理に向き合うのか。ガストロノミーを牽引する米田がいま思い描く未来とは?
26歳でコンピューターエンジニアから料理人へ
私は大学を卒業した後、電子機器関連のトップ企業でコンピューターエンジニアとして働いていました。携帯電話やDVD、宇宙機器や衛星の部品を設計していたんです。子どものころからの夢だった料理の道へ一歩を踏み出したのは、入社後2年経ってから。26歳の時でした。
正直、エンジニアとして働き始めてすぐ「ちょっと違うな」と感じてはいましたが、それが新人の誰もが抱く感覚なのか、そうでないのかがわからなかった。なので、自分が本当に何をしたいのかを見極めながら、料理の専門学校への入学資金を貯めようと考えたのです。
貯金のゴールに設定したのは、入学金の3倍の600万円。鹿島臨海工業地帯近くの研究所に勤務していたのですが、漁場も近くて、バケツで安く山盛りの魚が売られていたんですよね。それを買って毎日同じ魚を食べたりしながら節約を続けました。2年経ったころ、貯金も整い、料理人になるという覚悟も決まったところで退社。「料理人になる」と言ったら、みんな驚いていましたね。
専門学校でフランス料理の法則を学び、レストランで働き始めてからは修業の日々が待っていました。厨房はいわゆる鉄拳制裁の世界です。お皿やテーブルに指紋の一つもついていようものなら、すぐシェフの手が飛んでくるような状態でした。