日本における現地法人エクスペディアホールディングスで2015年から代表取締役を務めるマイケル・ダイクスは、米国人の父と日本人の母の間に日本で生まれ、米国で教育を受けてIT業界に入った後、2001年から日本で働いてきた。
今回、今年5月に20万人を動員した日本最大のLGBTプライドパレードを運営するNPO法人・東京レインボープライドの共同代表理事で、自身もトランスジェンダーである杉山文野の対談連載に登場。
ビジネスシーンにおいて、インバウンド旅行者の増加を目指す国策において、そして、一個人として生きる上で、ダイバーシティの追求が持つ力の大きさを語る。
杉山:この連載ではこれまで、僕と面識のある方にご登場いただいてきたのですが、ダイクスさんとは、共通の知人がいるものの、初対面です。大変お忙しいと聞いていますが……。
ダイクス:確かに国内外の出張が多いです。今日は杉山さんとお話しできることをすごく楽しみにしていました。
杉山:ありがとうございます。簡単にご経歴を教えていただけますか。
ダイクス:父が米国防省の職員として戦後日本の復興支援に携わっていましたが、沖縄返還に伴い、沖縄に赴任することになった関係で、私は沖縄で生まれました。後に家族そろってアメリカへ引っ越して、7歳から26歳まではアメリカで過ごしました。
大学卒業後は、ITサービスを提供する「サン・マイクロシステムズ(現オラクル社)」に入社して、分散型システムの設計構築を行う技術者として働くことになりました。
ニューヨーク支社で4年間務めた後、東京へ転勤することになり、2001年に日本に戻ってきました。それ以来、ずっと日本にいます。2003年に日本マイクロソフトに転職し、技術職・コンサルティング・企画・営業の様々な業種に従事しました。
転機は40歳になって、キャリアを考える上で自分の中に葛藤が起きたことですね。長くITの仕事をしてきて、他のビジネスに挑戦してみたいという気持ちがありました。
しかし、思い込みかも知れませんが、日本の労働市場では40歳を超えると他の業種に転職するのは難しくなるのではとも考えていた。そんなタイミングで、エクスペディアから声がかかりました。
話を聞いているうちに、関心が大きくなり、「行ってみよう」と決心しました。
杉山:そのタイミングで、ゲイだとカミングアウトを?
ダイクス:そうですね。 ただ、2回目のカミングアウトです。1回目のカミングアウトは、大学生の時でした。決意するに一年程かかりましたが、考えがまとまったら一気に両親や友人に明かしました。