現代の新車を使って蘇った1970年代のスーパーカー、アレス・デザイン


デ・トマソ・パンテーラ

デ・トマソ・パンテーラ(上の写真)は、アルゼンチンからイタリアに単身で渡ってきたアレハンドロ・デ・トマソが、米国の巨大自動車メーカーであるフォードと提携して作り上げた、イタリア製の車体に米国製V8エンジンを搭載したスポーツカーだった。

アルゼンチンの大牧場主一族で有力政治家の息子として生まれたアレハンドロは、当時の富裕層の子息がたしなむ最先端のスポーツ、すなわち自動車レースに熱中する若者だった。しかし、次期大統領候補とも目されていた父親が急死すると生活は一変。フアン・ドミンゴ・ペロンの軍事革命政権に私有財産を奪われたという説もある。

この頃、若き日のチェ・ゲバラと知り合ったアレハンドロは、独裁政権色を強めていたペロン大統領官邸の襲撃を画策するが失敗。国外退去を命じられて先祖の故郷であるイタリアに渡る。

そこで知り合った女性レーサーと結婚するのだが、彼女の一族は米国の大富豪だった。妻の実家から資金援助を受け、アレハンドロはイタリアのモデナでレーシングカーの製作を行う会社を設立。さらに市販車の製造販売にも乗り出す。開発資金(とエンジン)を提供したフォードによって米国中のディーラー網で販売されたパンテーラは、その最大にして唯一のヒット作だった。

アレス

一方、アレス・デザイン創設者の1人であるダニー・バハールはトルコのイスタンブールで生まれ、F1チームのレッドブルからフェラーリのブランディング担当副社長を経て、30代で英国ロータスの社長に抜擢されるという輝かしい経歴を歩んでいた人物だ。しかし、軽量スポーツカーの評判が高いロータスで高級化路線を推し進めようとしてファンを戸惑わせ、最終的には親会社の不信を買って解雇されてしまう。これが不当解雇であるとして一時は法廷で争っていたが、その間にもバハールはアレス・デザイン設立の準備を進めていたというわけだ。

祖国を追われたデ・トマソと、社長の座を追われたバハール。2人の野心が半世紀の時を超え、モデナという地で結びつく。そして誕生したクルマは、イタリア語の「パンテーラ」を英語読みした「パンサー」と、プロジェクト第一弾という意味のイタリア語を合わせて「Panther ProgettoUno(パンサー・プロジェットウノ)」と名付けられた。

価格は61万5000ユーロ(約7670万円)。実にウラカンの3台分に相当する。それだけ高価なクルマであっても、きっと数十年後に"名車"と呼ばれる可能性は低いだろう。中身はランボルギーニの量産モデルとほぼ変わらず、外観は米国生まれのデザイナー、トム・チャーダの作品の焼き直しに過ぎないからだ。

しかし、1970年代のイタリアン・スポーツカーに憧れて育った人ならば、最新のフェラーリやランボルギーニが霞んでしまうほど、ポップアップ式ヘッドライトとスリークなくさび形ボディを持つ現代版パンテーラに思わず惹かれてしまっても無理はない。

最近のヒットソングよりも、かつて親しんだメロディラインに新しいアレンジを施した曲が聞こえてきたら、そちらの方に耳を奪われてしまうのは仕方ないことだろう。

文=日下部博一

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