名門大学の不正入学問題から米国人が考えるべきこと

ハーバード大学( Jon Bilous / Shutterstock.com)

米連邦検察は3月12日、高校生の子供を希望する名門大学に入学させるために賄賂を渡すなどの不正にかかわったとして、6州に住む50人以上を起訴した。入学試験やスポーツ枠での入学許可などで不正が行われていた。

2011年~18年までに、総額およそ2500万ドル(27億8300万円)の賄賂が贈られたとされている。さらに2013年以降は、贈賄側の親たちが税額控除を受けられるような方法も取られていたという。起訴された中には、俳優や企業の最高経営責任者、国際法律事務所の共同会長もいた。

ソーシャル・メディア上では、多くの人が激しい怒りをあらわにしている。それは当然のことだ。お金を払って子供を大学に入れるなど、言語道断だ。ただ、すでに指摘されているとおり、この国の富裕層の一部がこれまでも入学許可を金で買ってきたことを知らなったというなら、その人は認識が甘い。

米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは2003年、富裕層の子供たちの入学を認めるため、大学が規則を曲げていると報じた。昨秋には裁判の中で、ハーバード大学が入学の可否に関して大口の寄付者を優遇してきたことも明らかにされた。

問題の本質

所得が平等でないということは、富と権力を持つ者たちが自らの強みによっても手に入れられないものを、金で買うことができるということでもある。この不平等はどこからくるのだろうか。数百万ドルを持つ少数の者が、優遇される人たちになるのだ。

ただし、今回明らかになった不正に関しては、怒りは入学を認められた子供たちに向けられるべきではない。子供たちはほとんど、不正について知らされていなかったのだ。怒りは米国がいまだに、ビリー・ホリデイの曲の歌詞にもある「持てる者は得る。持たざる者は失う」というシステムを変えられずにいることに向けられるべきだ。

そう、世界は公平ではない。何についてであれ、能力の高さは人によって異なる。人生に多大な影響を与えるようなひどい状況に巻き込まれてしまう人もいるだろう。

世界は公平ではない。だが、それは不平等がさらに悪化することを正当化するものではない。この古くから残る慣習は、あがめることをやめなければならないものだ。一部の者が自らの持つものを利用することで、自身と子供が将来に持つものを増やす一方で、それ以外の人たちが顧みられない状況は、許されるものではない。

これは、嘆かわしい才能の浪費だ。そして、自分に与えられた道は骨の折れる仕事のようなものだと考える人たちの間で高まる激しい感情の源だ。

そう、私たちには、無理なく払える授業料で通える大学が必要だ。また、国としての私たちには、全ての人がより良い未来のために戦うチャンスを得られるようにするための高い社会的移動性が必要だ。

気候変動によって引き起こされる災害、続く戦争状態、そして強い偏見に基づく組織的な差別など、数多くの大きな問題に直面する私たちには、あらゆる人の助けが必要なのだ。

つまり、自分を裕福だとは思わない一方、子供のためにあらゆる合法的な利益を活用することができる多くの人たちが、自分自身についてよく考えてみた方がいいということだ。一部の社会経済的地位にある人たちだけに入手可能なものが存在することは基本的に、富裕層だけが手に入れられるものがあるのと同じことだ。

編集=木内涼子

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