レストランから車で20分ほどのその市場は、漁師直営の店が多く、タム・シェフのお気に入りなのだと言う。朝から漁に出た船が午後に戻ってきて、釣ったばかりの魚が並ぶ。水槽の中には活けの魚も多い。
「市場に来る習慣ができたのはいつ頃かって? 最初は、子どもの頃、両親に連れてこられて、普段の食事の買い物に来たときかな。シェフと呼ばれる立場になる前、ただの料理人の頃から、市場に通うのは習慣だった。素材を知らなくては、料理はできないからね。レシピに従うのではなくて、素材に従った料理をつくろう、ずっとそう思ってきたんだ」
サプライヤーに頼むと、もしそこに良い物が入らなくて、質が良くないことがわかっていても、買わなくてはいけない。「それを避けるために、時間をかけても、自分の目で選んだものを直接購入して、提供したい」とシェフは語る。
それぞれのお店の家族構成までよく知っていて、すっかり顔なじみの市場の人たちも、「今日はこれが美味しいよ」などと勧めてくる。
素材の状態を見て、勧めに従ったり、「今日はやめておくよ」と断ったり。それぞれのお店で何が美味しいかを知っているので、ポイントを絞って購入し、20分ほどですべての買い物が終了した。
大きなホテルだと、管理上の理由からサプライヤーを通さなくてはならないのではと思っていたが、タム・シェフはホテルの購買担当者と共に市場を訪れ、精算は担当者が行う。買った分量と値段は、タム・シェフがボイスメモと携帯の写真で保存し、ホテルの管理部門に共有しているという。その日の客の入り具合に合わせて仕入れるため、食材ロスも少ない。
「こうやって食材を見ていると、どうやって料理したら美味しいかなというアイデアが次々に湧いてくるから、市場は好きなんだ。せっかくマカオにいるのだから、地元の新鮮な魚をお客様に食べていただきたいし」とタム・シェフ。
「例えばね、これ、マカオのローカルの甘鯛なのだけれど、シンプルに少し五香粉を振って、鱗をカリカリに焼くと美味しいね。ウォータークラブと呼ばれるカニは、マカオの名産だよ。栄養豊富な汽水域で獲れるから、甘みがあって絶品だよ」
こんな風に、選んだ獲れたての魚を「味見してみる?」と聞かれれば、そのすぐ後にディナーの約束があっても首を縦にふるしかない。その魚をシェフがどんな風に料理するのか、とにかく興味があった。
ウォータークラブの料理
茹でたての温かいエビは、新鮮でミソまで美味しく、余計な味付けはしていないがそれだけで十分というのがよくわかる。甘鯛は、綺麗に鱗を立てて焼いてあり、箸を入れるとサクッと割れるけれど、鱗の下の身はあくまでもしっとり。ウォータークラブは火を通しすぎないように、軽く湯掻いた半生の状態で、身の甘みが堪能できる。
ライオンヘッドフィッシュという鱚のような魚は、舌で押すと崩れるくらい柔らかい身を生かして蒸してある。繊細な味わいだけに、味付けは醤油をひと垂らししただけだ。
ライオンヘッドフィッシュの料理
タム・シェフの、主張しすぎず、食材の味に寄り添う料理のスタイルを、実感したひとときだった。
「毎日市場に行って、選んだ新鮮な食材で料理をつくるというのは、とても大切なこと。中華料理には、同じ鶏肉でも、品種によって、フライに使うものと蒸し料理に使うものがある。食材にあわせて調理方法を変えるという考え方はあるけれども、さらに季節による変化も大切にするという考え方は、あまり一般的でないように思う。だから、若い人たちが僕と働くことで、そういった食材の違いに、もっと興味を持ってもらえるようになればいいなと」とシェフは語る。
「これから、この新しいチームと一緒に自分が成長していけるのがとても楽しみだよ」
食材の「いま、この瞬間」に焦点を当てるタム・シェフにとって、もはや過去は関係ないのかも知れない。彼は今、新天地で新しいチームと未来に向けての歩みを進めているところなのだから。