会場のアナウンスに続いて、つい6カ月前まで自分の右腕として働いていた部下が、きらびやかな壇上に上がっていく。
2018年12月に行われた、「ミシュラン香港・マカオ2019」の授賞式。半年前の6月まで、自分がエグゼクティブ・シェフとして采配を振るい、オープンから7年間にわたって育ててきた店が、初めての三ツ星を獲得した。しかし、そのレストラン「ジェード・ドラゴン」は、もはや「自分のレストラン」ではない。複雑な気持ちでないと言えば、嘘になる。
ジェード・ドラゴンを去って、7月からエグゼクティブ・シェフに就任した「ウィン・レイ・パレス」は、星無しに終わった。「7月からでは、ミシュランの調査には間に合わない」と、自分に言い聞かせた。
タム・クウォック・フン、香港出身。料理好きな両親の影響で、料理人になり、35年以上をプロの料理人として過ごす。今回3ツ星に輝いた「ジェード・ドラゴン」ではオープンの2011年から1ツ星、2014年からは2ツ星を獲得。アジアのベストレストラン50には、2017年から毎年ランクインを果たしてきた。
素材を生かしたタムの料理のファンは多い
タム・シェフにとって、マカオの新開発エリア、コタイ地区にある総合リゾートホテル、シティ・オブ・ドリームス内のジェード・ドラゴンは、自分が育てた、まさに「自分の店」だった。しかし、いつしか、自分がいなくても大丈夫な店に成長したという実感もあった。
そんな中、20年前に働いたオーナーが経営する別の総合リゾートホテル、ウィン・パレスから声がかかる。「星無しのレストランを星付きのレストランにしたい。力を貸してくれないか」と。
「もう、ジェード・ドラゴンは十分成長した。これからは、人を育てる仕事をするべきではないか」そう思って、7年間働いた店を身一つで後にした。
「身一つ」というのは、単なる比喩ではない。メイン・シェフが新しいレストランに移るときは、通常は何人かの主要スタッフ、もしくはチームを連れていくのが常だ。その結果、メイン・シェフが去った元のレストランは、クオリティが保てず、星が減らされると言うケースもある。
しかし、それはしたくなかった。自分が育てた大切なレストランだからこそ、これからもクオリティを保ち、お客様に満足して帰ってもらいたい。そんな思いがあったからだ。自分が生み出した料理さえ、新しいレストランに持っていくことはなかった。7年間考え抜いてつくってきたレシピは、すべて置いてきた。
6月に行われたタム・シェフの送別会、右で肩を組んでいるのがオウ・ユンシェフ
「だから、ジェード・ドラゴンが3ツ星に輝いたのは、成長した我が子を見るようで、嬉しいことです」。彼はそう言い切った。ジェード・ドラゴンのエグゼクティブ・シェフを引き継ぎ、壇上に上がったオウ・ユンは、8年以上、彼の下で働いてきた。
「彼はとても仕事に情熱を持っていて、クオリティを保つ重要性を理解しているシェフです」
それは自分が教えたものだとはひと言も言わずに、壇上に上がったかつての部下に手放しで賛辞を送った。
シェフは、ジェード・ドラゴンのキッチンを去る際に、オウ・ユンを、「君はもう立派なマスターシェフだ。これからは、師弟ではなく、友達だ」と勇気づけたという。オウ・ユンは、壇上から降りると、タム・シェフに向かい、8年間、自身と、一人一人のキッチンチームのメンバーを育ててくれたことに対しての感謝を述べた。