──日本を一つの地域と捉えて、そのメディアを担うのがジャパンタイムズというイメージがあります。
海外に行くと、ジャパンタイムズのブランド力は、日本人が思っている以上に強いと感じます。日本に関する信頼できる情報源と思って下さっている方が多く、日本を世界に伝えるという、とても重要な役割を担っていると感じています。
日本を伝える英字新聞「The Japan Times」(右)と昨年全面リニューアルした英語学習紙「Alpha」
──「世界から見た日本」という視点は、なかなか取り入れづらい思うんですよね。それをここまで意識して考えられるのは、弥奈子さんだからこそだと思うんです。
家業が造船、海運業だったので、昔から海外の方に接する機会がたくさんありました。例えば、海外の船主さんが日本にいらっしゃるとセレモニーを催します。私は小学生の頃から、外国からお客様が来た時はお茶を点てたり、お琴を弾いたりして、家族でおもてなしをしていました。
そうした経験もあって、昔から、外国の方に日本の文化や魅力を、親しみを込めてアピールしたいという想いがありました。
──ジャパンタイムズの経営とそのご家業で、何か繋がりを感じることはありますか。
多分いずれも大きなポイントは、「誰かが注目している時もそうじゃない時も、そのブランド、あるいはその地域を一生懸命に愛している人達がいる」ということなのではないかと思います。
ジャパンタイムズを愛し、その存在に意義を感じて一所懸命仕事している人がいる。同じように瀬戸内も注目されているかどうかに関係なく、その土地を愛し、学び、成長しようとしている人達がいる。そういうところに共通点があるのではないでしょうか。
──インターネットが生まれた時、その分野の第一線で活躍されていたと思いますが、当時のお話を聞かせてもらえませんか。
当時のインターネットで出来ることはすごく限られていましたが、いずれ写真がサクサク見られたり、動画を視聴できたり、生中継が観られたりと、技術の進歩とともに多くの可能性が広がっていくことは分かっていました。今も全く同じだと思います。技術の進化は分かっています。じゃあそれを誰がやるのかとなった時に、もちろんテクノロジー領域で頑張る人もいますが、私はコンテンツサイドにいたいと常に思っていました。
90年代、まだ大学院を出たばかりで仕事も知らない私が、ネットで発信できるコンテンツが欲しくて携わっていたのが映画のプロモーションでした。映画という非常にハイエンドなコンテンツ、写真、映像やテキストで情報発信のお手伝いができたのは本当にラッキーだったと思います。