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2018.12.29 18:00

ベーブ・ルースらがプレーした最長歴史の球場座席の木片を探して

1911年当時のミルウォーキー、ボーチャート・フィールド

1911年当時のミルウォーキー、ボーチャート・フィールド

ミュンヘン、札幌、ミルウォーキーは、世界を代表するビールの産地と言われている。そのビールの世界三大産地の一つで、ビールの街らしく、ビール醸造者(ブリュワーズ)と名乗る球団が本拠地としているミルウォーキーもまた、僕のお気に入りの街の一つだ。

ミルウォーキーはもともと野球熱が盛んな街。19世紀後半、この街ではアイルランド系住民がライト側に、ドイツ系住民がレフト側に陣取って応援していたため、当時の監督はアイルランド系の選手を一塁手に、ドイツ系の選手を三塁手に起用するという移民の国らしい慣習があったという。

この街には、ミルウォーキーのプロ野球史上最長となる60年以上にわたり、プロ野球球団の本拠地として使われ、ベーブ・ルース、タイ・カッブ、ジャッキー・ロビンソン、ルー・ゲーリッグ、ウィリー・メイズ、テッド・ウィリアムズ、ジョー・ディマジオ、ミッキー・マントルを始めとする当時のスター選手のほとんどが地方巡業で訪れたボーチャート・フィールドという球場がかつてあった。

ボーチャート・フィールドは、アーネスト・ローレンス・セアのベースボール・ポエム「ケーシー打席に立つ」(Casey at the Bat)がサンフランシスコ・イグザミナー紙に初出した1888年に、3カ月かけて4.2万ドルで建設され、同年、ウエスタン・リーグのミルウォーキー・クリームスの本拠地として開場した。

開場時は、アスレチック・パークと呼ばれていた。当時、この球場よりも規模が大きかったのは、ニューヨークのポロ・グラウンズだけだった。そのポロ・グラウンズと同様、住宅街の中にあったため、長方形の球場だった。両翼までの距離は短く、センターまでは遠かった。

1941年にビル・ベック(アイデアマンとして知られ、メジャー・リーグ界に革命をもたらしたインディアンズ、ブラウンズ、ホワイトソックスの元オーナー。1991年に野球殿堂入り)が球団を買収すると、彼は外野のフェンスにモーターを取り付け、対戦チームによって、フェンスを前後に動かしていたとも言われている。

長方形球場が故に、ホームベース後方の客席はU型だった。このため、客席からフィールド全体を見渡すことができず、ミネアポリス・ミラーズのオーナーのマイク・ケリーは、「ミルウォーキーで試合を観戦するには、2枚のチケットが必要だ。1枚は一塁側、そしてもう1枚は三塁側」と皮肉を述べたという。

アスレチック・パークは、住宅街にあったので、試合球が周辺の家屋のポーチまで飛んでくることもあった。子供たちが場外で拾ったボールを売り戻すスタンドもあった。周辺の家屋のバルコニーや屋根から観戦することができた。ホームプレートの裏側にはバーがあり、球場の近くには、タバーンが2軒あり、チケットの販売も行っていた。

1953年のボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)のミルウォーキー移転に伴い、カウンティ・スタジアムが建設されることになったため、ボーチャート・フィールドは1952年にその役目を終え、翌年取り壊された。


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文=香里幸広

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