ベーブ・ルースらがプレーした最長歴史の球場座席の木片を探して

1911年当時のミルウォーキー、ボーチャート・フィールド


そのボーチャート・フィールドのブリーチャー席の木片がミルウォーキー郡歴史協会に保管されていると知り、シカゴに転勤して間もない2013年7月、家族でミルウォーキーを旅行する際に、歴史協会に立ち寄る計画を立てた。

事前に歴史協会のウェブサイトをチェックしたが、関連の情報がなかったので、歴史協会に、ボーチャート・フィールドの木片の見学方法について直接メールで質問してみることにした。返信はあまり期待していなかったが、翌日、歴史協会の学芸員のベンさんから、非常に丁寧なメールが返ってきた。

「私たちのデータベースを調べたところ、当歴史協会ではボーチャート・フィールドの木片2点を管理していることが判明しました。一つは細長い緑色の木片(16.75インチ×2.25インチ)で、もう一つは、ブリーチャー席の一部(12.5インチ×8インチ)です。木片の出所は不明ですが、ブリーチャー席の一部には、記念プレートがついています。

これら2点は、歴史協会とは別の場所にある倉庫で保管されています。同倉庫には5万点もの品が保管されていますが、明日探してみます。もしあなたがミルウォーキーに来られる前日までに見つかれば、歴史協会でご覧いただけるようにアレンジします」

ミルウォーキーを訪問する前日までに知らせてくれるというので、良い返事が届くことを祈りながら待つことにした。しかし、ミルウォーキーに行く前日の午後、ベンさんから、残念な知らせが届いた。短時間の間に5万点からこの小さな木片を探し出すのは困難だったようだ。ベンさんは、引き続き定期的に探してくれるというので、その言葉を信じて待つこととし、とりあえずお礼のメールを返した。

歴史協会にメールしたのが2013年7月。それから4年間、ベンさんからも歴史協会からも何の音沙汰はなく、僕はこのことをすっかり忘れていた。いや、諦められないので、忘れようとしていたのかもしれない。

シカゴを去るのが秒読みとなった2017年9月、ベンさんに再びメールをしてみることにした。あれから4年以上経過していたので、前回以上に期待しなかった。1週間経っても返信はなかった。更に、1週間経過した。

そして、メールを送信して15日後、完全に諦めていた僕のもとに、ベンさんからメールが届いたのだ。ベンさんは、長らく待たせたことに対してお詫びすると共に、遂に木片を探し出したことを知らせてくれたのだ。すごく嬉しかった。ベンさんは、僕を4年以上待たせたため、きっと必死で探してくれたのだろう。そんなことを想像すると、この小さな木片が見つかったことよりも、ベンさんが僕のために必死になってくれた方が遥かに嬉しかった。

僕は、ベンさんの真摯な対応に心を打たれると共に、少し前に上司から教わった日米で共通する労働倫理のことを思い出していた。それは、アメリカの中西部の人々の勤勉性や道徳心の高さは、日本人と共通するところがあるというものだ。

日本と中西部の人々が共通する労働倫理の具体例としては、時間を守ること、高い目標を定め、達成に向かって努力すること、チームワークを大切にすること、問題が生じても諦めず解決することだと言われている。アメリカ中西部に進出している日系企業が多いのは、こうした労働倫理が共通していることも大きいとも言われている。今回のベンさんの誠実な対応は、まさにこれだと感じたのだ。

その後、ベンさんは、自らが撮影したボーチャート・フィールドの木片の写真を送ってくれ、僕がミルウォーキーに赴けば、いつでも見学が可能なように特別にアレンジすると約束してくれた。


ミルウォーキー郡歴史協会の学芸員ベンさんから送られてきた座席木片の写真
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文=香里幸広

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