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いまから20年前に書かれた本に、「ハリウッド脚本術」という1冊がある。この本では、当時のハリウッドの映画人たちがどんな脚本を優れていると考えていたかが如実にわかり興味深いが、著者であるニール・D・ヒックスは、その第1章のタイトルで「ドラマは葛藤である(DRAMA IS CONFLICT)」と言い切っている。

ヒックスが言うように、いまも昔も、ドラマ(映画と言い換えてもよい)とは葛藤なのである。多少、事情は変化しているにせよ、ハリウッドの敏腕プロデューサーたちが鵜の目鷹の目で探しているのは、「葛藤」なのだろう。それも良いドラマをつくる「良い葛藤」だ。

映画「LBJ ケネディの意志を継いだ男」で葛藤するのは、第36代アメリカ大統領、リンドン・ベインズ・ジョンソンだ。もとい、厳密に言うと、ジョン・F・ケネディ大統領のもとで副大統領の任にあった「LBJ」の葛藤が、物語の中核となっている。

人気者のJFKとオジサンLBJ

ご存知のように、ジョンソン副大統領は、1963年11月22日の「ダラスの熱い日」、すなわちケネディ大統領の暗殺にともない、そのわずか98分後にアメリカ大統領に就任した。当時「JFK」こと、ケネディ大統領が46歳であったのに、「LBJ」(劇中にケネディに対抗し自らこのように署名したというエピソードも)、ジョンソン大統領は55歳。ルックスも爽やかなJFKに比べて、LBJはかなりのオジサンであった。

LBJは、就任した翌年には、ケネディ大統領が推進していた公民権法を成立させ、11月の大統領選では共和党バリー・ゴールドウォーター候補を大差のうえ破り、晴れて「選挙で選ばれた大統領」となる。

さらに、65年8月には、選挙権登録における差別をなくすための投票権法にも署名し、アフリカ系アメリカ人への差別撤廃をめざした公民権法を後押しした。しかし、同じくケネディ時代から引き継いだベトナム戦争が泥沼化し、1968年の大統領選挙には不出馬を宣言、1973年、ベトナム和平協定が成立する5日前の1月22日、自宅で心臓発作により64歳の生涯を閉じている。

「LBJ ケネディの意志を継いだ男」は、まずは前半でLBJが大統領に就任するまでを描いていく。

冒頭は、1963年11月22日のダラスの空港からだ。空港に詰めかけたダラスの人たちから、圧倒的な歓迎を受けるケネディ大統領の後ろで、握手の手を出すが、無視されるLBJ。ここテキサスが地元であるだけに、いたく傷つく。すると、場面は4年前に飛び、彼が民主党の院内総務として豪腕をふるっていた時代にスイッチされる。

議会で農業法を通過させるために、有力者に電話をかけ、スタッフを叱り飛ばし、トイレからも指示を飛ばす。持てる能力を如何なく発揮していた時代の、辣腕のジョンソン院内総務を描いていく。現在は、人気のケネディ大統領の陰で、不遇をかこつ副大統領の姿とは対照的に。

文=稲垣伸寿

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