「バカだから仕方ない」で片付けない 教育格差のない社会を目指して #30UNDER30

Learning for All代表理事 李炯植


──そうした環境を整えるには、学校や行政との連携なども必要になってきそうですね。

そのために、私たちは困難な状況にある子どもたちを「見つける」、彼らの支援に必要なステークホルダーを「繋げる」、居場所や学習機会を提供して「支援する」という3つの働きかけを大切にしています。これらを各地で持続的に行ない、地域全体で子どもたちの成長と夢を見守っていけるような「子ども支援の生態系モデル」を全国に広めていくことが、今後の目標です。


「子ども支援の生態系モデル」の3つのステップ

生まれ育った街で感じた「子どもと貧困」のリアル

──経済的に豊かな日本において、自国の貧困問題をなかなか身近に感じられない人も多いかと思います。そんな中で、子どもの貧困問題に興味をもったのには、何か原体験があったのでしょうか。

私の生まれた育った街が、経済的に豊かでない人たちが多く住んでいる地区だったんですよ。小学校のクラスの同級生の半分くらいがひとり親世帯で、生活保護をもらっている家も少なくなかった。ただ、当時はそこに問題があるなんて感じていなかったし、それが普通だと思っていました。

最初に違和感をはっきりと覚えたのは、高校生になってから、小学校の同窓会に参加したときでした。そこに来ている同級生たちの現状に、びっくりしたんです。高校を中退していたり、すでにとび職に就いていたり、妊娠している子もいたりして。

私はと言うと、小学校時代の恩師に「貴方は東大に行ける素質があるから、ちゃんと勉強ができる環境にいきなさい」と助言を受けたおかげで中高一貫校に進学し、それなりに勉学に励む高校生になっていました。中高一貫といっても当時は偏差値50以下で、受験さえすれば誰でも入れるような学校でしたけど(笑)。ただ、世間的に見れば“普通の高校生”に近い立場だったと思います。

──そこで自分と同級生たちの状況に、大きな差が生まれていることを感じたと。

彼らとは数年前、同じ教室で同じ教育を受けていたんです。それなのに、どうしてここまで境遇が異なってしまうのかと、ショックを受けましたね。別に勉強ができるのが偉いとか、高校に行かなきゃいけないとか、そういう話ではなくて。ただ、学校からドロップアウトしてしまった同級生たちの話を聞いていると、進学した自分と比較して、彼らの人生の選択肢が大きく狭まっていることを感じました。

──ご自身が東大に行こうと決心したのは、恩師のアドバイスがあったから?

それも大きいですが、はっきりと決心したのは高校に入ってからでした。実は、高校2年生くらいのときから持病のアトピーがひどくなって、1年くらい夜もほとんど眠れないような日々が続いたんです。その間、勉強くらいしかできることがなくて、半ばやけくそになって問題集なんかを解きまくっていて。

それで、身体も精神もどん底まで追い詰められたときに、ポッと「よりよく生きたい」という願いが浮かび上がってきました。そして、そのために「東大に行くしかない」と思った。なぜ東大だったかというと、周りが「君は東大に行ける」と期待してくれていたので、それに応えたかったというのが最も大きな理由です。

高校卒業までに体調も治して、東大にも受かる──この節目に、すべての不安要素と決別しようと奮起しました。ここで何かを妥協したり、諦めてしまったりしたら、以降ずっとダメになる気がして。そう決意したのが、ちょうど3年生になったころですね。そこから1年間は、受験に向けての対策を綿密にプランニングして、寝食以外のほぼすべての時間を勉強に費やしました。もう、働いている感覚に近かったです。
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文=西山武志 写真=小田駿一

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