なかでもゴダールは、映画監督としてのキャリアが最も長い。1950年代、フランスのヌーヴェルヴァーグの旗手として「勝手にしやがれ」で颯爽と登場して以来、映画界の革命児として数々の物議も醸しながらも、今年のカンヌ国際映画祭では、コンペティション部門に最新作「The Image Book」を出品、スペシャル・パルムドールを受賞している。
「グッバイ・ゴダール!」は、その映画界のレジェンドに「別れ」を告げる作品だ。とは言っても、描かれるのは1960年代後半から70年代。ゴダールが商業映画への決別宣言をし、政治に深くコミットした作品を撮り始め、映画界の前衛として既成の映画に対して挑戦状を突きつけた頃だ。
ゴダールは1966年夏、ドイツ・ベルリン生まれの19歳の女子学生、アンヌ・ヴィアゼムスキーと知り合う。毛沢東主義を正面から取り上げた作品「中国女」で、彼女を主演女優に抜擢、公開直前の67年7月にふたりは結婚する。
ジャン=リュック・ゴダールとアンヌ・ヴィアゼムスキー(1967年撮影、Photo by Getty Images)
しかし、折から、ゴダールが政治問題に深く関わるようになり、映画づくりも「ゴダール」の名前を捨てて、「ジガ・ヴェルトフ集団」と名乗るようになる頃からふたりの関係は危ういものとなり、1972年頃からは事実上の別離、79年に正式離婚する。
正確に言えば、「グッバイ・ゴダール!」は、ゴダールについての映画ではない。ゴダールと結婚していたヴィアゼムスキーの自伝的小説「それからの彼女」(Un an après)が原作となっており、当然、ヴィアゼムスキーの映画であり、ゴダールは彼女の視点から描かれていく。
アンヌ・ヴィアゼムスキーは1947年生まれ。父親はロシアから亡命した貴族、母親はノーベル文学賞も受賞したフランスの作家フランソワ・モーリアックの娘という名門一家に育つ(伯父に作家のクロード・モーリアック)。
ゴダールはヴィアゼムスキーと結ばれる前には、女優のアンナ・カリーナと結婚していた(1961年〜65年)が、ファーストネームも似ている、面立ちもなんとなく彼女に重なるものが、アンヌにはあった。
ヴィアゼムスキーは、ゴダールと離婚後も女優を続けるが、文学一家のDNAを生かし、80年代後半からは小説家として活躍する。「グッバイ・ゴダール!」の原作である「それからの彼女」の前の時代を描いた「彼女のひたむきな12カ月」では数々の賞も受賞している。
残念ながら彼女は、昨年フランスでこの作品が公開された(9月13日)直後の10月5日、見送られるかのように亡くなっているのだが、完成した作品をとても気に入っていたという。