監督・脚本は、2011年、アカデミー賞の作品賞、監督賞を始めとする5部門で軒並み受賞の栄誉に浴した「アーティスト」のミシェル・アザナヴィシウス。「アーティスト」では、モノクロ&サイレントを採用した野心的な演出が際立っていたが、この作品では、いまだ現役の映画界の先輩監督を作中人物として描かなければならず、その心配りは尋常ではなかったはずだ。
事実、ゴダールへのオマージュのような場面も数々登場し、画面の色調も、初期のゴダールが商業作品で見せていた鮮やかな色使いが印象深く使用されている。往年のゴダール・チルドレンが観ても、やや楽しめる作品にもなっている。
劇中で、ゴタールが中心となってカンヌ映画祭をボイコットに動く場面も描かれるが、その同じ人物が、いまや同映画祭のコンペティション部門に作品を出品し、審査員たちからリスペクトのスペシャル・パルムドールを授与されるのだから、時代は変わったということかもしれない。
前半は、ゴダールとヴィアゼムスキー、哲学科の学生と気鋭の映画監督の甘い出会いが描かれるが、この場面だけを観れば単なるラブロマンスの作品かと思えるくらいだ。中盤から後半にかけては、フランスの五月革命なども背景に取り入れながら、女優と映画界の革命児との、それぞれの乗ったレールが離れていく姿が描かれていく。
「別れ」という悲劇が題材であるにもかかわらず、アザナヴィシウス監督の演出は静かな喜劇として描かれていく。散りばめられた60年代末のポップな色彩とフレンチファッションも魅力的だ。
若きヴィアゼムスキーを演じる女優、ステイシー・マーティンが素晴らしい。アザナヴィシウス監督は、彼女のコケティッシュな魅力を中心に据えて、ポップにコラージュされたファッショナブルなコメディを紡ぎ出している。
ステイシー・マーティン(Photo by Getty Images)
「ゴダールのことなんか、忘れて観てください。なぜならタイトルが、『グッバイ・ゴダール!』(原題はLe Redoutable)なんですから。この作品はラブストーリーであり、コメディでもあります。だからゴダールのことなどまったく知らなくても、楽しめる作品です」
ゴダールの崇拝者が聞いたら、卒倒しそうなことを言ってのけるマーティンだが、その何ものも怖いものなしの言葉が、そのまま1960年代末のヴィアゼムスキーとその時代の気分を表しているようにも思える。
ところで、当のジャン=リュック・ゴダールはこの作品を観ているのだろうか。彼にとっては、五月革命の動きもあり、政治問題へと傾斜していったシュトゥルム・ウント・ドラングの時代であっただけに、この作品をどう観たのか、古くからのゴダール・チルドレンとしては、機会があれば訊いてみたい気もする。
連載 : シネマ未来鏡
過去記事はこちら>>