「誰にも見せたことがない。初めてですよ」としきりに恥ずかしがりながら、崎田恭平は、市長室から6冊のノートを引っ張り出した。
現在2期目。「猫さえ歩かない」と言われた商店街の活性化などで、全国から視察や取材が引きも切らない。崎田に政策のルーツを尋ねるなかで話題に上ったのが、県庁職員だった27歳の年始から、故郷の日南市で市長選を迎えるまでの覚書をつづったノートだ。開くと、地域再生への思いが目に飛び込んできた。
「カリスマはいらない。コーディネーターが必要」。そして赤ペンで「俺がそうなるんだ!!」
若き日の決意は、“チーム日南の総合プロデューサー”を自任する今につながる。地元の人々に化学反応を起こし、知恵と工夫を生む触媒となるような民間人を外から登用してきた。その極意とは。
「民間人が地域を巻き込んだチームのプレイヤーとして一緒に汗をかくこと」と、崎田は言い切る。その好例が、江戸時代から280年続いた飫肥(おび)藩の城下町、飫肥地区の再生事業だ。風情ある町並みが残る観光地だが、知名度が低く、宿泊施設もなかった。景観を損ねる空き家問題も抱えていた。
そこで崎田は「まちなみ再生コーディネーター」を公募。2015年に3人目の民間人として着任、移住してきたのが、当時28歳の徳永煌季だ。大学卒業後、JPモルガンに4年半勤務。知人に誘われて訪れた日南市で公募を知り、すぐ応募した。飫肥の潜在力や地方創生ブームなどに商機を感じたのに加え、「人ですよね、市長に惹かれたり」と振り返る。
何十年変わらなかったことが動き出した
徳永は老朽化した武家屋敷2軒の宿泊施設改築に奔走し、宮崎銀行と地域経済活性化支援機構から計9000万円の資金を調達。17年4月には一棟貸しの宿を「季楽 飫肥」としてオープンさせた。
この取り組みに、広告・コンテンツ制作などを手がける「プラスディー」(東京)が共鳴し、同地区の古民家を再生してサテライトオフィスを開設。さらに飲食業などを展開する地元の会社「大清」も、同様に古民家をカフェレストランに。同社常務取締役の本田清大は、崎田のやり方を「市内でも賛否あるが、何十年もかけて変わらなかったことがこの数年で大きく動き出した」と評価する。
月額65万円の「まちなみ再生コーディネーター」委託料のほかに特別な予算を付けずして、建物整備だけでおよそ2億円が地元工務店に流れ込んだ。しかも町並みが整い、宿や飲食店に観光客を呼び込める。サテライトオフィスは地域の若者6人分の雇用を生み、運営するECサイトで地元の産品が扱われることに。
民間人起用が成功のカギ? 市長就任時に民間から「マーケティング専門官」に抜擢された田鹿倫基は、否定する。
「うまく転がすのは市役所の力量。民間人には見えない地元のしがらみや既得権益に切り込む時、根回ししてくれたり止めてくれたりする存在が必須ですから」
崎田は、民間人と公務員とで必ず「バディを組ませる」という。崎田流のもう一つの極意だ。徳永の「バディ」に任命された市職員は、「民間のスピード感を共有して職員たちもスキルアップしてきた」と行政への波及効果も挙げる。
他自治体からの招聘をはじめ年間50回近くの講演もこなす崎田だが、“総合プロデューサー”としての密かな矜持がある。
「まちづくりのプロを入れればいいと勘違いしている自治体が多く、首長は人を見てどうチームを組むかまで意識していない。ノウハウは隠さないですが、真似できるものなら真似してみろ、ともどこかで思っています」。