プリンストン大学のマイケル・グラツィアーノ教授(心理学・神経科学)は米誌アトランティックに寄稿した記事で次のように指摘する。「誰もが個人のスペース、本能的な保護ゾーンを持っている。私たちは常に、自分のスペースを確保し他者のスペースを回り込むことに奮闘している。そうして隣接し合うスペースが蜂の巣のようになり、社会の足場ができる」
空の旅では、こうした空間の感覚を、ストレスが多く不自然に配置された窮屈な空間に押し込めなければならない。空港に入る瞬間から、飛行機を出て最初の風に当たる瞬間まで、赤の他人と密接な空間に押し込まれ、列に並ばされ、スペースに高い値段がつく閉鎖空間に座らされる。
こうした状況で一部の企業が、移動の合間に小さなオアシスを求める旅行者に向けたビジネスを展開していることも驚きではない。現代の空港では、ラウンジやスパ施設から、瞑想(めいそう)や緑化のスペースまで、人混みのいら立ちから逃れたい人が選べるサービスが増えている。
カスタマイズがますます進むプレミアムラウンジの例として、ロサンゼルス国際空港に最近オープンした「プライベート・スイート(Private Suite)」がある。同施設では、旅行客が全室スイートのプライベートターミナルを利用でき、個人に合わせた食事やソファベッドを楽しめる。
各会員には8人から成るチームが割り当てられ、人々の喧騒から離れたところで関税手続きの支援をしたり、空港のゲート施設まで車で送迎したりしてくれる。年会費は4500ドル(約50万円)で、会員は電話一本で、常駐する医者やヘアスタイリスト、エステティシャンを呼び出せる。
また、究極の個人スペースとして、ジャバーボックス(Jabbrrbox)と呼ばれる閉鎖された電話ボックス型設備が用意されているところもある。この空間では、電話をしたりネットを見たり、一瞬の間だけでも自分一人の空間を楽しめる。公式ウェブサイトでは、ジャバーボックスのことを「思考し、創造し、つながり、充電するための個人オンデマンド作業スペース」と説明している。
このように公共交通システムにプライベートの感覚をもたらす動きには、一長一短がある。授乳や介護のため、あるいはストレスを感じがちな旅行者のための空間を作れば、普段はこうした施設を使いづらい人にも優しい空港にできる。
しかし一方で、プライバシーの強化により、旅行を面白くする要素である予期せぬ偶然が減ってしまうこともある。バーでの何気ない会話や、ゲートでフライト遅延にがっかりする人に同情の言葉をかけるといった交流を故意に避ければ、空の旅をより個人に合わせたものにできる一方で、旅の人間味は失われてしまうかもしれない。