諫早市に生まれ育った村川は、1986年に大学を卒業し、諫早市役所に就職。当時、女性が結婚をしても続けられる仕事は、教員か自治体職員などの公務員しかなかった。そして、その市役所ですら、16人いた同期のうち、事務職の女性は村川を含めわずか2名という時代であった。
最初に村川が配属された部署は、選挙管理委員会事務局。市役所の仕事は夕方5時に帰れると思っていたが、配属後すぐに解散総選挙が実施され、忙殺された。当時、女性の深夜勤務は禁じられていたため、夜中にこっそり残業することも少なくなかった。一方で、選挙がない期間は仕事が少なく、「もっと仕事がしたい」という焦りも感じていた。
村川が入庁した1986年は、男女雇用機会均等法が施行された年でもある。とはいえ、その頃の役所は、まだ各フロアに女性が1人配置され、お茶汲みなどの雑務を行うことになっていた。
村川も同部署の全職員の湯飲みを頭に叩き込み、各人の好みにあわせてお茶や紅茶、コーヒーなどを用意し、砂糖の量まで微調整しながら、1日4回デスクまで持って行った。退社前にはすべての湯飲みを洗った。当時は、役所の自席でタバコが吸えたため、灰皿の片付けまでもが女性職員の業務のひとつであった。
セクハラ対策の担当となる
選挙管理委員会事務局に8年在籍した後、障害福祉課に異動した。忙しい部署であったため、土日両方を休むことができたのはほんの数回。昼間は障害者やその家族の相談を窓口で受け、夜には事務処理を行った。たいへんではあったが、仕事がたくさんできることが嬉しく、山のように積まれた書類をさばいていくのも幸せだった。
しかし、ある日突然、先輩の女性職員が席にやって来て、「あなたのせいで、残業できない私たちが頑張っていないように見える。迷惑だ!」と言われ、村川は大きなショックを受ける。
5年間在籍した障害福祉課を経て、人事担当課に異動した。1997年に男女雇用機会均等法が改正され、セクハラに関する規定が新設されたため、役所内でもその対応を迫られた。