「日本は、ボーイングにとってアメリカに次ぐ世界最大のサプライヤー拠点です。その流れは、次世代機の777Xの開発でも継承されます」
東京・丸の内にあるボーイング ジャパンのオフィス。ブレット・ゲリー社長は、卓上にある飛行機の模型を指し示しながら、そう語った。
ゲリーが1時間の取材中に「パートナー」を繰り返した回数はじつに“57回”にも及ぶ。実際、これほど端的に航空業界と、それを牽引するボーイング社が成長できた要因を表す言葉はないだろう。
100年ほど前、米北西部で郵便物を運んでいた木製の飛行機が、今や人や貨物を乗せて日夜世界中を飛んでいる。おそらく航空機ほど、移動のあり方や世界観を変えた製品はない。
そして、それは業界や企業の垣根をまたぐ、数十年にわたる技術革新と協働の歴史なくしてありえなかった。今日でいうところの“オープン・イノベーション”である。
航空宇宙開発製造最大手の米ボーイングが日本に拠点を設けたのが1953年。社員1人から始まったボーイング ジャパンは、三菱重工や川崎重工、スバル(旧富士重工)といった企業と組みながら、ボーイングの航空機製造を担ってきた。最新鋭の「ボーイング787ドリームライナー」では、機体構造の35%が日本製。一部メディアでは、“準日本製”と報じられた。ゲリーはそれを「偶然ではない」と話す。
「日本の企業は、ものづくり全般に秀でており、技術力を磨き続ける努力をし、能力の高い従業員を抱えています」
次世代中型ジェット旅客機「ボーイング787ドリームライナー」を運行する全日本空輸(上)と日本航空(下)。同機は2004年に、全日空がローンチカスタマーとして50機発注したことで開発が始まった。
顧客との関係を大切にし、長期的な視点で考えられる点も、航空業界と相性がよい。安全性や快適さが求められる機体の開発・製造は複雑で高コスト。製造業社も長期にわたって関わるため、苦楽をともにできる強い信頼関係が不可欠だ。
ゲリー自身もボーイングと日本企業の間にある強固な信頼関係について来日前から聞いていたが、「実際に携わってその絆を実感した」と語る。昨年7月に中部国際空港で行われたボーイングの100周年記念行事では、サプライヤーから航空会社まで多くのパートナーが集まった。その光景が今もまぶたに焼き付いているという。
航空宇宙産業の発展には、こうした協力企業との長期的な関係づくりのほかにも、さまざまな取り組みが求められる。特に、技術革新は重要だ。ボーイングでも、ベンチャー投資部門「HorizonX(ホライゾンX)」を創設したほか、機体から集めた情報を分析するデータ処理システム「AnalytX(アナリティクス)」を導入。社内外のアイデアやビッグデータを活用することで、安全性の向上と製造工程の効率化を目指している。
だが、ゲリーは「技術革新だけがイノベーションではない」と指摘する。
「イノベーションとは、企業にとって大事なあらゆる分野を絶え間なく改善し続けることです。これには技術はもちろんのこと、作業プロセスやシステムも含まれます」
ボーイングが培ってきた100年余の遺産、そしてボーイング ジャパンが深めてきた60年以上にわたる絆の数々。ゲリーは、「今まで以上に堅固な土台を後継者に残すこと」を自らの任務と定めている。
「航空業界に従事する誰もがきっとそう望むはずです。1世紀にわたって航空宇宙産業は、人類に多くの素晴らしいイノベーションをもたらしてきたのですから」
ボーイングの歩み
(COURTESY OF BOEING)
深まる日本とボーイングの信頼関係
16%:767での日本企業の機体製造の割合
200〜300席クラスの中型機「ボーイング767」。1982年の運用開始以降、息長く愛されている。1機当たりの日本企業の生産分担比率は16%。
21%:777での日本企業の機体製造の割合
初の全デジタル設計による双通路型機「ボーイング777」は1995年に運行を開始。日本企業への信頼性は高まり、生産分担比率は21%に上昇した。
35%:787での日本企業の機体製造の割合
機体製造の50%に炭素繊維複合材を使用する新型機「ボーイング787」は、スバル、川崎重工、三菱重工の3社が機体製造35%を担当している。
BRETT C. GERRY◎ブレット・ゲリー。ボーイング ジャパン社長。米国政府や司法省の要職を経てボーイングに入社。民間航空機部門のバイス・プレジデント兼ゼネラル・カウンセルなどを務めたのち現職。