鎌田和樹(以下、鎌田):最初に岡田さんに会ったのは、僕が光通信で携帯電話の販売をしているときでしたね。
岡田光信(以下、岡田):そう。僕は当時、ITの会社で携帯電話のソリューションを作って販売していたんだよね。そんなときに相談を受けた。鎌ちゃんは、20代でものすごいパワフルで営業成績も良くて。
鎌田:今もそうですけれども、僕は「根性」しかない(笑)。決めたらやる、みたいな。28歳の頃、光通信を辞めようかと悩んでいたんです。当時、岡田さんがシンガポールで働いていたので、僕は会社を辞める前に何度かシンガポールに遊びに行かせてもらいました。一緒にシンガポールで働けるかもしれないという、淡い期待のを持ちながら……。
でも岡田さんに「僕もシンガポール行けますかね?」と聞くと、2秒で「無理だね」とおっしゃって。その瞬間に僕はニートになる、みたいな(笑)。でも曖昧に言われるより、スパっと言われた方が諦めもついたのでよかったです。
岡田:私は当時、シンガポールでITの会社を経営していたのですが、39歳でミッドライフ・クライシス。「中年の危機」に直面していました。尊敬している人たちは40代で大きいことを成し遂げているので、このまま40代に突入していいのか悩んでいたので、私から鎌ちゃんに「ぜひ一緒に!」と言えなかったんです。自分の状態が嫌だったんですね。責任を持って一緒にできないというか。もやもやしていた、そんな時だったのです。
「市場がない」のはグッドニュース
岡田:鎌ちゃんはシンガポールに何回も来て、「動画×広告×スマホ」みたいなのが来ると思うと何度も言っていた。でも、僕は全然ピンとこなかったのですが、鎌ちゃんは走り出しました。
鎌田:2013年の3月にHIKAKIN(ヒカキン)に会ったんです。その後彼は5月にシンガポールでエアロスミスのコンサートに出演をしたんですよね。この時、「ヤバイな」と思いました。僕は6月にオンセールという会社を作り、「ジャパネットたかた」みたいなことをしようとしたのですが、これは違うなと感じました。
資本金は1000万円でした。経営者はお金をあまり使わないかと思うのですが、僕は「3か月で使い切ります」と出資者全員に言って、お金を使っていろいろとやりました。9月にやれたこととやれなかったことを精査し、その後も淡々とやり続けて、気がつけば翌年ぐらいに黒字化しました。
HIKAKINなどのYouTuberや動画に関心が高まっていて、「そこにビジネスチャンスがあるかもしれない」と感じたのは、彼がエアロスミスのコンサートの時、スカルプDのCMに出演した時、そして、翌年にSMAP×SMAPに出演した時。段階的というより、積み重なってきた感じでした。
YouTuberや動画と聞いてもピンとこない人がほとんどでしたので、認知度を上げる活動も常に一緒にして、みんなが「YouTuberって聞いたことがある」という状態になったときに、「これだ!」という実感をし始めた気がします。
岡田:私の場合は当時、15歳の時にNASAに行ったことを思い出し、これから取り組むべきは「宇宙かもしれない」と思っていました。そして、宇宙に関する学会に出始めるとスペース・デブリ(宇宙ゴミ)の問題を知った。衛星が衝突すると危険なので、デブリを取り除く必要性を感じたんです。2013年4月にスペース・デブリの専門の宇宙学会がドイツであったのですが、プレゼンが、シミュレーションとリサーチとコンセプトだけで「アクション」がなかった。
IT業界ではコンセプトみたいなのはなくて、数日で「新しいものを出しました。ダウンロードはこうです。販売はこうです」しか言わない。それがその学会では、最後に今後のプランの話をしつつも「2020年台半ばまでに」なんて言っている。ウィークリーでスケジュールを追って行くIT業界とはスピード感が全然違います。
その遅さに「なんだ、この宇宙業界は!」と腹が立って、ならば自分でやろうと10日後に会社を作りました。
当時よく言われたのは、「市場がない。誰がお金を出すの?」ということ。そしてもうひとつ、「技術がない」ということ。レギュレーションが整っていないし、お金がかかるので、 スタートアップができるような話ではないと散々言われました。
そのとき逆に、「市場がないというのはグッドニュースだ!」と思いましたね。バッドニュースじゃない。
市場があるとコンペティターがたくさんいる。IT業界はコンペティターしかいなかったので、市場がないってなんて幸せな世界だろうと思いました。市場がないなら作ればいい。鎌ちゃんも市場がないところに作っていますよね。