英語習得が必ずしも万国で歓迎されない理由

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ユーロの出現

似たような感情が欧州中に広がったのは2001年、欧州諸国の大半でユーロが導入されたときだ。多くの人は、海外旅行で両替の必要がないなどの利便性のために、国民性の一部である独自通貨を犠牲にする価値はないと感じていた。欧州連合(EU)加盟国の英国やスウェーデン、デンマークなどはユーロを導入せず、現在も独自通貨を使用している。

ドイツ連邦銀行のハンス・ティートマイヤー元総裁が15年ほど前、「欧州では本当に単一通貨が必要なのか」との質問に対し「欧州には既に単一通貨がある。ドイツマルクだ!」と声高に宣言したことを、私は覚えている。

こうした「私たちはどうなったの? あの居心地の良かった世界に何が起きたの?」という思考は、現在欧州で見られる国家主義的なポピュリズム(大衆迎合主義)運動の基盤となっている。私たちは、自分たちのルーツ、つまり子ども時代に持っていた安心感を心の深くで欲しているようだ。しかし既にそれとは違う世界にいる私たちは、過去の世界を失うことを恐れず、未来を受け入れなければならない。

実は、文化保全への固執はグローバル化よりも大きな危険をはらんでいる。言語はその一例だ。他言語を学べば他者の考え方を理解でき、ビジネスや社会でも確実に役立つ。また、環境の変化や、技術の進歩に伴い劇的に変化する世界にも適応しやすくなる。

それでも、流動性と多様性が増す世界で文化や伝統を維持する方法はあるはずだ。これを達成するのは行政命令や議会での決定、街頭デモではない。私のジャーナリストの友人が「テロワール」と呼ぶものを、自分たちの文化の真の基盤として受け入れることだ。

テロワールは直訳すれば「土地」で、食品やワインなどが生産される地域の歴史や文化のことを指す。これはフランスやドイツ、さらには米国といった政治的存在ではなく、イルドフランス、エクサンプロバンス、シュバルツバルト、ブルックリンといった、独自の景色や匂い、味、音、表現、言語を持つ小さな固有の地域のことで、個別の存在ではあるものの、私たちがどんなに望もうとも消えることはない巨大な世界のつながりの中で相互に結ばれている。

実は、根底にあるこのグローバル化こそが、テロワールを維持するのに必要な財源となっているのかもしれない。ならば、サンドイッチを「ホーギー」と呼ぼうが「サブマリン」と呼ぼうが、カツレツを「ウィーナー・シュニッツェル」と呼ぼうが「ビール・ミラネーゼ」と呼ぼうが、好みの言語で会話しながら食事を楽しめばよいのだ。たとえその肉がニュージーランド産かもしれないとしても。

編集=遠藤宗生

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