なぜ、日本人の存在感は薄まっているのか。前回の入山章栄氏に続き、これからの人材育成のあり方を説いた資料「シン・ニホン」が話題になった、ヤフーCSO(チーフストラテジーオフィサー)の安宅和人氏に話を伺った。
トヨタとグーグル、時価総額はなぜここまで違うか
富を生み出す方程式が劇的に変化した──日本は、この事実をきちんと理解しなければなりません。順を追って説明していきましょう。
まず、ビリオネア(資産総額10億ドル以上)として上位にランクインされるためには、事業を創り出してマーケットキャップ(時価総額)によって富を得る。特殊なケースを除き、ビリオネアになるためには基本的にはこれしか方法がありません。要は、事業を起こし、事業のマーケットキャップを高めていくことが重要なわけです。
これまでマーケットキャップを高めるためには、市場でのプレゼンスと利益の規模が重要でした。言い換えれば、既存の枠組みとルールの中での規模と効率の追求が鍵でした。しかし、今はまったく違う。ここ10年余りで方程式が変わったのです。
下の時価総額ランキングを見てください。エクソンモービルを除き、上位はすべてICT系の企業。そして驚くべきは、生み出している利益に対してマーケットキャップが巨大である、という事実です。
マーケットキャップの上位企業に共通していること。それは「世の中を変えている感」「未来がその会社の向こうにある感」を投資家から持たれている点にあります。トヨタは、アルファベットやマイクロソフトと利益額に大差はないものの、残念ながら時価総額は足元にも及びません。日本のトップ企業が30位前後まで落ちたことも久しくなかったことです。
2017年4月、7万6000台しか車をつくっていないテスラが、その130倍以上の車を売っているGMのマーケットキャップを越す、というニュースがありました。これも富を生み出す方程式が変わったことを示す、わかりやすい証左でしょう。市場は「モビリティの未来はテスラにある」と考えているのです。
日本はICT「しか」成長させてこなかった
「世の中を」という言葉もポイントです。「日本を」ではダメなのです。
例えば、ウーバーは事業を初めて8年しか経っていませんが、グローバルに多くの都市で課題解決を行うことで、すでに7兆円というマーケットキャップを生んでいます。かつてホンダもパスすることは不可能と言われた排ガス規制をCVCCエンジンで世界で初めて乗り越えることで世界規模の課題解決を行い、大きな事業価値を生み出しました。
こうした事実からも分かるように、ICTや技術革新をテコに不可能だったことを実現し、グローバル規模で世の中をアップデートしていく。これこそが巨大な富を生み出す方程式なのです。
しかし、多くの日本人はこのことに気づいていないか、都合よく無視している。だから、日本は世界長者番付の上位にランクインすることができないわけです。
ただし、日本にまったくチャンスがないわけでもありません。よく「日本はICTで負けている」という声を聞くのですが、実際は違います。他の国と比べてみても、ICT技術の浸透度合いは決して低くありません。GDPにしめるICT産業の割合も米国とほぼ同じ。ただ、アメリカがICTの革命をテコに過去20年すべての産業をアップデートして大きく成長させてきた中、日本はここ20年の間「ICTしか」成長させてこなかったんです。
その背景にあるのは、「テックギーク」の圧倒的不足です。海外のトップスクールでは学部段階で計算機科学が専門を問わずデフォルト化し、基礎教養となってきている中、日本はいまだに高等教育で理数を学ばない人が中心で、データ分析、情報科学、エンジニアリングについて基本的な理解がない人が多い。これでは世の中をアップデートしていくことはできません。
これまでビジネスの世界で劇的な革新を起こしてきたのは、ほぼすべて20代〜30代前半の若い人材です。世界長者番付のトップ10に日本人がランクインするためには、まず日本の教育を変えることが必要不可欠でしょう。
[特集]日本長者番付 2017年最新リスト
安宅和人◎ヤフー株式会社チーフストラテジーオフィサー。データサイエンティスト協会理事。慶應義塾大学SFC特任教授。応用統計学会理事。東京大学大学院生物化学専攻にて修士課程修了後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。4年半の勤務後、イェール大学脳神経化学プログラムに入学。2001年春、学位(Ph.D.)取得。ポスドクを経て2001年末、マッキンゼー復帰に伴い帰国。マーケティング研究グループのアジア太平洋地域における中心メンバーとして、幅広い分野におけるブランド立て直し、商品・事業開発に関わる。2008年9月ヤフーへ移り、2012年7月より現職。経済産業省 産業構造審議会 新産業構造部会 委員、人工知能技術戦略会議 産業化ロードマップTF 副主査、内閣官房 第4次産業革命 人材育成推進会議 委員なども務める。