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2017.05.11 11:30

イスラム「侮辱」の失言でまさかの落選、アジアで問われる宗教的寛容

ジャカルタでのアホック氏に対する抗議デモの様子(Photo by Ed Wray / gettyimages)

ジャカルタでのアホック氏に対する抗議デモの様子(Photo by Ed Wray / gettyimages)

日本ではほとんど報じられていないが、見過ごせない選挙があった。

4月19日、インドネシアの首都ジャカルタで行われた州知事選挙の決選投票だ。結果は、現職のジャカルタ州知事のバスキ・チャハヤ・プルナマ(通称アホック)氏が敗れるという予想外のものとなった。

さらに、選挙を終えた後、5月9日、インドネシアの地方裁判所は、宗教冒とくの罪に問われていたアホック氏に対し、禁固2年の実刑という予想外に重い判決を言い渡した。アホック氏は控訴したが、収監され、10月に予定される知事交代を待たずにその座から追われることになった。

この選挙は、インドネシアの地方選挙というローカルニュースの枠を超えて、アジアにおける民主主義と宗教を考える上で大いに示唆に富んでいる。なぜなら、予想外の選挙結果をもたらした背景に、大きな宗教のうねりがあったからである。

コーランの侮辱とイスラム教徒の抗議デモ

そもそも、今回の選挙は、2019年に予定される大統領選挙の前哨戦としての意味合いがあったことから、インドネシア政治において大きな意味をもっていた。

アホック氏の前任のジャカルタ州知事は、現大統領のジョコ・ウィドド氏であった。ジョコ氏は、知事時代、数々の新しい政策を打ち出して実績を積み上げ、国民的な人気を得た。そして、知事当選からわずか2年後の14年には大統領選に出馬し、見事に勝利した。

ジョコ大統領が知事だった時代に副知事を務めたのが、今回の選挙で落選したアホック氏である。アホック氏はジョコ大統領と並んでインドネシアの新時代を代表する改革の旗手として手腕を発揮しており、ジョコ大統領の信任も厚い。そのアホック氏が勝利すれば、ジョコ大統領には追い風となり、19年の大統領再選に向けて大きな一歩を踏み出すことができるはずだった。

アホック氏は、華人系のキリスト教徒であり、国民の9割がイスラム教徒であるインドネシアにおいて二重の意味でマイノリティである。それでも、改革への志向、強いリーダーシップ、親しみやすいキャラクターから、一貫して市民から高い支持を得ており、今回の選挙でも、圧倒的な本命候補と目されていた。

しかし、アホック氏は、選挙戦において、インドネシア国内のイスラム教徒の神経を逆なでしかねない「失言」をした。

昨年9月、「ユダヤ教徒とキリスト教徒を指導者としてはならない」というコーランの一節にふれ、「あなた方はコーランに騙されて、私に投票できないかもしれない」「地獄に落ちるのを恐れて投票できないのであれば仕方ない」と発言したのである。

コーランを皮肉に用いた発言は、イスラム教徒の保守層の反発を呼び、急進的なイスラム団体であるイスラム防衛戦線(FPI)は、宗教冒とくにあたるとしてアホック氏を刑事告発した。検察はアホック氏を宗教冒とく罪で起訴。選挙を目前に控えた12月に初公判が開催された。

しかも、事態は刑事裁判にとどまらなかった。11月には、ジャカルタでアホック氏に対する10万人規模の抗議デモが発生。抗議デモはその後も頻発し、12月には実に20万人以上がデモに参加。インドネシアは、98年のスハルト政権崩壊後、最大級の規模に発展するという未曽有の状況に直面した。

その一方で、対立候補のアニス・バスウェダン氏は、敬虔なイスラム教徒であることをアピールし、急進派を味方につけることで、イスラム票の取り込みに成功した。このため、アホック氏との決選投票では、アニス氏が大差をつけて勝利する結果となった。

さらに、5月9日、裁判所はアホック氏に対して禁固2年の実刑という予想外に重い判決を言い渡した。アホック氏は収監され、副知事が知事代行を務めることになった。

再選を目指すジョコ大統領と挑戦者たち

インドネシアは2億5千万人の人口を擁する大国だが、その9割をイスラム教徒が占めている。そのイスラム教徒人口は世界最大の規模を誇る。一方で、インドネシアは「多様性の中の統一」を国是として信仰の自由を保障しており、いわゆる「イスラム教国家」ではない。政党には世俗政党とイスラム系政党があり、宗教団体にも保守的なものから近代的で穏健なものまで幅広く存在し、多様である。

一方で、インドネシアの選挙では、しばしば宗教が争点となり、イスラム票の獲得が勝負のカギを握ってきた。

前回14年の大統領選では、低所得層出身の「庶民派」でビジネスマンであるジョコ氏は、イスラム色が薄い候補者であった。これに対し、スハルト元大統領の娘婿で、元国軍の幹部という生粋のエリートである対立候補のプラボウォ・スビヤント氏は、イスラム系政党やFPIなど急進的イスラム団体を味方につけ、「宗教を擁護する指導者」というイメージを打ち出した。プラボウォ氏の戦略は有効に機能し、当初大きくリードを広げていたジョコ氏を激しく追い上げ、選挙直前で両者の支持率は拮抗した。

最終的にはジョコ氏が勝利したが、一つの決め手になったのは、ジョコ氏が穏健なイスラム教徒としてのイメージを重視したことだったとみられる。
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文=石井順也

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