「ハイパーアクティブ」「超マルチタスク」「天性の経営者」──セールスフォース創業者のマーク・ベニオフを表すのに、これらの単語はおそらく、どれも正しい。
全方位における、同時多発的アプローチ。ベニオフは、自らの求めるものを「統合された人生(integrated life)」と呼ぶ。友人でコカ・コーラCEOのムーター・ケントの言葉を借りれば、彼は「前向きな欲求不満」だ。
どう名付けるにせよ、若い起業家たちはいま、「経営にとどまらない、より広く深い世界観」に価値を置きつつある。彼らより幾分年上で、キャリア的にはるかに先を行くベニオフは、こうしたライフスタイルをもって巨大IT企業をつくることが可能なのか、その試金石でもある。
曲芸並みにタスクをこなす「天性の経営者」
彼の飽くなき好奇心は1970年代に育まれた。サンフランシスコで百貨店を経営していた父親の背中を見て育ったベニオフは、10代半ばでゲーム会社を起業・売却。大学の学費を稼いだ。卒業後、オラクルの創業者ラリー・エリソンの薫陶を受けて早々に頭角を現し、同社史上最年少でヴァイスプレジデントに就任する。
「マークは天性のセールスマンだが、それ以上に天性の経営者だ」と、エリソンは言う。「大局を見通すのが得意なんだ」。
90年代後半、ベニオフはひとつの成功モデルを間近で見ていた。オラクルの同僚だったエバン・ゴールドバーグがエリソンから出資を受け、「オンデマンドのソフトウェア」という構想の実現に踏み出したのだ(これは後に「サービスとしてのソフトウェア(SaaS: Software as a Service)」の名で広まった。現在誰もが知るクラウドである)。ベニオフは、セールスに特化したそれに狙いを定め、エリソンから約200万ドルの出資を受けて起業した。99年のことだ。
当時のセールスフォースは、お世辞にも有望とはいえなかった。市場には寡占企業があり、セールスフォースはプラットフォームビジネスに寄り道をしたあげく、ドットコム・バブルの崩壊でその閉鎖を余儀なくされていた。一時は破綻も目前にした。だが苦しみながらも彼は、初期の顧客を中心にコミュニティを築き上げていく。いまや17万人を集め、同社の代名詞ともいえるイベント「ドリームフォース」も、2003年にわずか1300人という規模でスタートさせたものだ。
「彼は驚くほど多くのことを曲芸のようにこなしたよ。上空1万5000mから眺めるような大局観でね」と、共同創業者のパーカー・ハリスは回想する。
すべては顧客を中心に回る
ベニオフは起業まもなく、ひとつのルールを学んだ。それはセールスフォースに今日まで続く「すべては顧客を中心に回る」という理念だ。
導入するだけで一定の売り上げがあるそれまでのソフトウェア企業とは異なり、セールスフォースのビジネスモデルは「購読型」。顧客に成果が出なければ購読は打ち切られる。逆に、効果が出れば商機は広がる。顧客の満足と成功こそが、セールスフォースの成功だったのだ。
ドリームフォースのようなイベントも毎夜の顧客との会食も、顧客のロイヤルティを高めるため。食事をともにしながらベニオフは、顧客にとってのセールスフォースの印象、現状、問題点を事細かに問う。自社にないものを提供している企業(特に零細スタートアップ)の話を聞けば、即座に会話を中断して電話をかける。M&A(合併・買収)担当者にその社名を伝えるためだ。
誰と対峙するときでも、ベニオフはこういったゼロベースの情報収集を欠かさない。彼はこのようなアプローチを、禅の言葉を引いて「初心」と呼ぶ。彼はユダヤ教のシナゴーグに通う傍ら、仏教も信奉するー宗教すらもマルチタスクなのだ。
オラクルにいたころから、ベニオフは「信頼」と「権限委譲」を通して成功を手にしてきた。とくに、3年前に日本の責任者としてスカウトした、元・日本ヒューレット・パッカード社長の小出伸一には、特例的に意思決定権を渡している。昨夏、来日したベニオフは小出に向かって次のようなメッセージを送っている。「我々を追い越しても構わない。そのことを知っておいてもらう必要がある」ー。