目標は、村の子どもたちが「夢を見つけ、追いかけ、叶えていくことのできる環境作り」だ。
原が初めて現地を訪れたのは、外務省在職中の2012年6月。シアバター精製に携わる女性たちの、収入向上を目指した調査が目的だった。だが、言葉や文化、生活様式など何もわからず、はじめは戸惑うことばかりだった。そんな彼女に、村の人々は家族のように寄り添ってくれた。まるで心細さを察したかのように、すっと子どもが寄ってきて、彼女の傍にいてくれたこともあった。
「彼らの力になるんだ、という正義感を背負って現地入りしたのですが、助けてもらったのは私の方でした」
過去にカンボジアやミャンマー、スリランカに訪れたこともあったが、ボナイリ村ほど深い愛着と親しみを感じたのは初めてだった。この想いが動機となり、やがて原は、ボナイリ村の支援を行うようになっていく。
当時、村には幼稚園の建物がなく、子どもたちは木の下に集まって教育を受けていた。2〜3カ月雨が降り続く雨季になると、子どもたちは授業が受けられなくなる。さらに、親たちは子どもの世話のために経済活動をストップせざるをえなかった。そこで原は募金で約30万円集めると、恩返しの意味を込めて、園舎を建てた。
交流を続けるなかで、原は、村がいくつもの課題に直面していることに気づく。そこで、村が外からの援助なしでも課題を克服し、発展することを目標に、プロジェクトを打ち立てた。
原が重視したのは、金銭ではなく、知識や技術の面からの支援だった。すでに村に存在する産業を向上させ、販路を創出してはどうか。そのひとつに、村の女性たちが他から訓練を受けて生産していた、ガーナコットンの製品があった。当時は縫い目が荒く、綿もはみ出していたが、日本や欧米にも輸出できるクオリティにする取り組みを、村の人々と共に開始。
「チャリティとしてではなく、製品自体に魅力を感じて購入してもらえるようなものづくりを目指しています」
現在、プロジェクトの財源は寄付と販売収益の半々。夢は、22年までに寄付依存から脱却することだ。
「外交官時代、日本政府の援助の理念は『自助努力』だと学びました。村の人々自身の手で、子どもを取り巻く環境を改善できるよう、10カ年計画で寄り添っていきたい」
はら・ゆかり◎1986年生まれ。2009年に東京外国語大学を卒業後、外務省に入省。12年8月にNGO MY DREAM. orgを設立し、ガーナ共和国北部ボナイリ村の支援活動を始める。同プロジェクトに注力するため、15年に外務省を退職。現在はMY DREAM.orgの共同代表と、日本の総合商社ヨハネスブルク支店アフリカ戦略推進室マネジャーの二足のわらじを履いている。