社員たちと変わらない小さなデスクは、一見、会長のデスクには見えない。別の場所に、会長室があるわけでもない。正真正銘、これが、山田の席なのだ。
「昔のオフィスには会長室や社長室があり、奥にある部長席には白い布がかけられていました。そんな“ザ・昭和”な雰囲気が漂うオフィスで、社員は胃腸薬や目薬、メンソレータムというこぢんまりしたビジネスにあぐらをかいているようなところがあったんです。しかし、それでは新しい発想は生まれてきません。新風を吹き込むために、まず、社内から”昭和感”を払拭したのです」
と話す山田は、オープンオフィスという考え方が日本にはほとんどなかった1995年頃、オフィスから間仕切りを取り去った。
さらには、奥にある席に座っていた幹部たちをオフィスの中央にある通路側に移動させた。彼らを目立たせ、喝を入れるためだ。「窓際ででーんと座っている幹部たちを見て、何しとんのや、このままではあかんと思っていましたから」
山田は関西弁を交えて、そう笑う。
ー風変わった席替えは、ロート製薬の前に新たな道筋を作った。女性社員も積極的に採用し、異業種のスキンケア分野に参入、機能性化粧品の草分けとなったオバジや肌ラボなど、次々とヒット商品を生み出したのだ。売上げは右肩上がりとなった。
山田が一風変わったことをするのは、ロート製薬の2代目社長である祖父輝郎の血だろう。
「僕の祖父は本当に変わり者で、”とにかく理想的な会社を作るんだ”と豪語しては大阪の本社に、50年代当時としては珍しく冷暖房がきいた工場を造ったり、社員が昼休みにボートを漕いでくつろげるような池を造ったりしました。そんな理想郷を、祖父は、”ロート・ユートピア”と呼んでいました。その当時、社員が出社するのが楽しみになるような会社は珍しかった」
社員の健康に貢献するロート・ユートピアを造った祖父の考え方は、山田の中にも、脈々と受け継がれている。2004年、山田は、かつて祖父が寝泊まりしていた本社の建物を改装して、社員がリラクセーションのサービスを受けられる”スマートキャンプ”という施設を造った。4代目版の”ロート・ユートピア”だ。
施設内では、薬膳料理の提供も行い、この料理が社員に人気を呼んだため、東京の空きオフィスで、昼の間だけ薬膳レストランを始めたところ、近所で評判となった。それなら、もっと多くの人たちに! 山田は大阪の梅田で本格的な薬膳レストラン「旬穀旬菜」をオープンする。