90億ドルの総資産を所有― 。老舗ビールメーカーのストロー社を経営していたストロー一族の栄光を示す数字である。1980年代に全国区のメーカーに成長した同社は、もはや存在しない。なぜ、同社は繁栄から転落の軌跡をたどったのだろうか
身の丈以上の買収から転落
(中略)しかし、全国区のビールメーカーとして繁栄を謳歌するというピーター・ストローの壮大な構想は結局、頓挫した。ライトビールが人気を集めた当時のビール業界のトレンドに彼らが乗り損ねたためだ。
それに加えてストロー社の主力商品(安価で水っぽく、カロリーの高いビール)には競合品が多かった。その一方で、負債を抱えた同社にアンハイザー・ブッシュやミラーのような大手ライバル並みの宣伝費をかける余裕はなかった。マーケティング戦略では需要を喚起できないことから、ストローは価格で勝負しようと、12缶分の値段で15缶買えるパッケージと、24缶分の値段で30缶買えるパッケージを導入する。これはロングセラーになるが、利益の減少を食い止めるには不十分だった。
そうこうするうちにコロラド州を基盤とする野心的な一族が、ストロー家の市場を侵食し始めた。「ストローとクアーズの潰し合いになりました」と、ストロー社に12年間勤め元部長級の社員、スコット・ロゼックは言う。
「当時は大手ビールメーカーが4社ありましたが、市場には3社分の余地しかなかったんです」。
1980年代末までに、クアーズはストロー社を抜き、米国第3位のビールメーカーとなった。89年8月、ストロー・ブルワリー社は撤退に転じる。従業員を家族のように遇してきた会社が、ホワイトカラーの5分の1に当たる300人をレイオフ(一時解雇)したのだ。(中略)翌月、ピーター・ストローは家業を4億2,500万ドルでクアーズに売り渡すことに同意した。だがクアーズはおじけづき、数カ月後に契約から手を引いてしまう。「原因は企業価値の評価に関係することでした」と、業界向けニュースレターの編集者、ベンジャミン・スタインマンは言う。「さまざまな噂が囁かれたものです」。
ビール業界史上最悪の売り上げ減
追い詰められたピーターは、ストロー社をより豊かな消費者向けのブランドに変えようと、著名な広告マンのハル・ライニーを招く。親しまれた筆記体のロゴはブロック体に変更され、価格は値上げされた。15缶入りと30缶入りのパッケージは廃止された。まさに“最悪の決断”だった。商品自体は変わらないのだから、消費者だって損得を考える。ストロー・ブランドのビールは1年間で40%以上も売り上げが落ちた。
「ビール業界の歴史の中で最悪の売り上げダウンでした」と、ベンフィールドは言う。
1983年には13%だったストロー・ブランドの市場シェアも、91年には7.6%まで低下した。CEOのピーター自身、率直に苦境を認めている。「私たちは非常に難しい時を過ごしています」と、彼は92年に本誌に語った。「身の丈以上のことをしようとしたのです」。
(以下略、)