ヘリオス代表取締役社長の鍵本忠尚氏。1976年生まれ。九州大学病院で眼科医として勤務の後、起業。眼科手術補助剤を開発し、欧州で上市を果たす。加齢黄斑変性の治療という初心の実現に向けて、2011年ヘリオス設立。

その最初の“戦場”は「眼」になる見込みだ。
日本の期待を背負って上場を果たしたヘリオスと米国でトップを走るOCATA社による再生医療ビジネス“日米戦争”。2030年には、国内1兆円、世界では12兆円の市場規模が予測される再生医療のスタンダードをめぐる日米の先陣争いは、日本経済の未来さえも占う重要な意味を担っている―。


6月16日、日本の再生医療界が大きな一歩を踏み出した。バイオベンチャー企業、ヘリオスがマザーズで上場したのだ。

「初値は23%高。高い評価を得て、たいへん有り難く思っています」
そう話すのは、38歳で同社を上場へと導いた代表取締役社長の鍵本忠尚。日本再生医療界の期待の星だ。
 
同社が開発しているのはiPS細胞由来の網膜色素上皮細胞(RPE細胞)である。iPS細胞はさまざまな部位の治療に採用されるものと期待されているが、最初は、眼のRPE細胞から入るのが適切であるとされる。移植に必要な細胞の数が少なく、術後のモニタリングも容易で、万一移植した細胞が腫瘍化したとしても、すぐにそれを見つけ出して処置できるからだ。
 
昨年9月、理化学研究所の高橋政代が加齢黄斑変性の患者にiPS細胞から作ったRPE細胞を移植する世界初の臨床研究を実施し話題を呼んだ。ヘリオスはこのRPE細胞で、世界の再生医療市場に打って出ようとしている。
 
福岡の病院に勤務していた元眼科医の鍵本が最初のバイオベンチャーを立ち上げたのは2005年のこと。
発端は、所属していた九州大学眼科学教室で3人の研究者と開発した眼科手術に使う染色剤だった。その眼科手術補助剤の製品性の高さは、当時約40社ものベンチャーキャピタルが投資するほど注目を浴び、鍵本は集まった総額約20億円を元手に事業化した。

補助剤は最初にヨーロッパで認可を受け、デファクト•スタンダードを取った。快挙だった。日本の眼科で開発された技術を日本の大学発バイオベンチャーが世界で製品化したことは初めてだったからだ。
 
そんな彼のビジネス手腕に熱い眼差しを注いだのが、前述の高橋である。ある時、高橋からiPS細胞からRPE細胞を作る治療法の実用化の打診を受けた鍵本は直感した。これは治療法として成立する!

「当時、製薬企業もiPS細胞の存在は知ってはいましたが、本気でこれをビジネスにしようと考えているところはまだなかった。私は臨床医として、年老いた細胞を新しい細胞と入れ替えることができれば数多くの病気が治療しうると肌で感じていたのです」
 
上場間もない現在、鍵本の短期的目標は、日本で医薬品としての承認を受けて、日本市場の足固めをすること。それに向けて、ヘリオスは、大日本住友製薬と50%ずつ出資して、サイレジェンという細胞製造会社を神戸に設立、すでに体制づくりに入っている。

市場規模は大きい。
現在、加齢黄斑変性の治療には抗血管新生薬(抗VEGF抗体)の注射が一般的には行われており、昨年その薬は日本市場で500億円、グローバルでは8,000億円を超える売り上げを記録した。同社の製品がどれだけ抗VEGF抗体の市場シェアを置き換えることができるかがポイントとなる。

その際に重要になるのはコストだ。髙橋の臨床研究では患者自身の細胞から作られたiPS細胞(自家細胞)由来のRPE細胞が移植されたが、そのコストは1億円と言われている。

しかし、大きな市場に向けて一般医療として普及させるためには、多くの人に対応できるヒト白血球抗原(HLA)を持つドナーから得た細胞で作られたiPS細胞(他家細胞)を採用して大量生産化によるコストダウンを図る必要がある。鍵本の予測では、他家細胞を使えば薬価ベースで1,000万円前後にコストダウンできるという。
 
ヘリオスは、17年に他家細胞による治験を開始し、20年の製造販売承認取得を目指している。眼だけではなく、肝臓、腎臓、膵臓などの臓器を作り出すというユニークな技術にも注目しており、現在、この技術開発を行っている横浜市立大学と共同研究を進めているところだ。同大学の発表によると、19年に肝臓の疾患に対する臨床研究が開始される予定だ。

数々の製薬会社でCEOを務め、2014 年にOCATA 社のCEOに就任したポール・ウォットン氏。医学博士でもある。 (フォーブスジャパン9月号より)
数々の製薬会社でCEOを務め、2014 年にOCATA 社のCEOに就任したポール・ウォットン氏。医学博士でもある。
(フォーブスジャパン9月号より)

またも「ガラパゴス化」への懸念
 
日本の再生医療が経済成長に貢献できるかは、国内市場だけではなく、世界市場をどれだけ握れるかにもかかっている。再生医療を携帯電話端末のようにガラパゴス化させないことは誰もが願うところだ。
 
しかし、その危険性もあると危惧するのは、東京医科歯科大学大学院教授で医療経済学を専門に研究している川渕孝一だ。

「今、日本で市場に出ている再生医療品目は、ジャパン•ティッシュ•エンジニアリング(J-TEC)の自家培養表皮と自家培養膝軟骨の2品目しかありません。同社は1999年の創業以来、17年連続の赤字続き。自家培養表皮は火傷治療に使用されていますが、昨年は100人くらいにしか出荷されていない。一方の自家培養膝軟骨は患者人口が多く市場性は大きいのですが、それを使って再生医療の手術ができる病院が国内の約9,000病院中約160病院しかない。使ったことがある医療機関も50施設ほどしかありません。再生医療がブームになっていますが、J-TECの実態を見ると道のりは大変厳しいと思います」
 
一方、海外を見てみると、市場に出回っている再生医療品目は、12年12月時点では、日本の2品目に対し、アメリカが9品目、韓国が14品目、ヨーロッパが20品目である。また、治験中の品目については、日本の場合、治験候補は65品目もあるものの、4品目しかない。一方、アメリカは88品目、ヨーロッパは42品目、韓国は31品目もある。そんな現状を踏まえながら、川渕は主張する。

「日本の場合、制度設計する人たちに国際性やしたたかさが欠けていた。再生医療が “ガラパゴス化”しないためには、最終的に製品のデファクト•スタンダードが取れるかどうかにかかっています」
 
眼科手術補助剤でデファクト•スタンダードを取った鍵本が、今度は、世界初のiPS細胞から作られたRPE細胞でデファクト•スタンダードが取れるのか。

戦いの現場はアメリカ
 
海外市場で、製品においても市場においてもライバルになると予測されるのがアメリカだ。特に加齢黄斑変性の市場ではES細胞から作られたRPE細胞がライバルになる。市場規模も大きく、アメリカだけで3,700億円超の市場となる。
 
RPE細胞の分野で現在、アメリカで最もリードしている企業がES細胞からRPE細胞を製造しているOCATA社だ。2月にナスダック市場に上場、最近、約37億円の資金調達もした。同社CEOのポール•ウォットンは大きな自信を見せる。

「2011年に、安全性を確認する初期の臨床試験を開始して、最近終了したばかりです。アメリカ、イギリス、韓国の3カ国で44人の患者に移植しましたが、4年経った現在も、細胞は安全に機能しています。しかも、韓国では、移植した4人の患者中3人、アメリカでも18人中13人の視覚が改善されました。つまり、安全性だけではなく、有効性のシグナルも、すでに多くの患者で見て取ることができたのです」
 
同社は、7月から有効性のシグナルを確認するフェイズ2の臨床試験に入り、17年には終了して、フェイズ3で患者の視覚の改善と細胞の再生を最終確認して、製品を市場に送り出すのは、22~23年を予定している。20年の承認販売を予定している鍵本のヘリオスとべて、数年のビハインドとなるわけだ。

しかし現在、アメリカでは“ブレイクスルー•セラピー”と呼ばれる先進医療の承認をさらに迅速化するイニシアティブが進められている。これは、ミシガン州議員のフレッド•アプトン氏が推進している法案で、7月上旬には多数の支持を得て下院で承認された。法制化されるのも時間の問題だろう。
 
日本で昨年11月に施行された改正薬事法によって新設された、条件・期限付き早期承認制度が米国の動きを加速化した可能性もある。こうして、米国で先進医療の承認が迅速化されれば、OCATA社が製造しているES細胞由来のRPE細胞が市場に出るのも早まる可能性がある。
 
早期承認制度によるアドバンテージを失わないか、そこは日本の再生医療界が懸念するところでもある。理研の高橋も「エグゼクティブ」誌の取材で「アメリカで、ES細胞から作ったRPE細胞より先に、認可を得て、市場を押さえたい」と意気込んでいた。さながら、再生医療のスタンダードをめぐる“日米戦争”の様相となっているのだ。
 
国内にも大きなライバルがいる。iPS細胞由来のRPE細胞の研究を進めているセルラー・ダイナミクス・インターナショナル社(CDI)で、5月に富士フイルムホールディングスの傘下に入ったばかり。つまり、同じ日本企業間での米国市場争いもすでに始まっているのだ。同社CEOに就任した平尾和義は言う。

「買収したのは、CDIがiPS細胞とそれに由来する組織細胞の開発製造分野では世界のリーダーだからです。競合は2、3のiPS細胞由来の組織細胞しか提供していませんが、当社は、心臓、肝臓、脳、血管など、臨床研究に対応できる12の適正製造規範(GMP)レベルの組織細胞を提供しています」

臨床研究や細胞セラピー、臓器作りには大量のiPS細胞が必要とされるが、CDIはその製造能力の高さを誇っており、日本の主要製薬企業はもちろん、世界中の製薬企業や政府機関、食品企業、研究機関など約200社に供給している。RPE細胞については、同社はアメリカの国立眼病研究所と提携して研究を進めており、現在は、前臨床試験段階。17~18年に臨床試験に入り、OCATA社と同じく、22~23年には製品を市場に出す予定だ。
 
最終的な勝負はRPE細胞そのものの商品性になるが、鍵本はその点で優位性を感じている。

「iPS由来か、ES由来かというのは生まれの違いのようなもので、問題はその後、生み出されたRPS細胞がどう育っていくか、どちらの機能がより優れているかが争点になります。我々はさまざまな研究結果を踏まえて改善した方法で育てたRPE細胞を提供していく予定です。臨床成績が当社のRPE細胞の機能の素晴らしさを証明してくれるでしょう」

2004年に米国で設立されたバイオベンチャー企業CDI(シーディーアイ)。独自の大量生産技術でiPS細胞由来の組織細胞を、世界中の医療機関 や研究機関に製造販売している。13年ナスダック上場。15年富士フイルムが買収に成功。
2004年に米国で設立されたバイオベンチャー企業CDI(シーディーアイ)。独自の大量生産技術でiPS細胞由来の組織細胞を、世界中の医療機関や研究機関に製造販売している。13年ナスダック上場。15年富士フイルムが買収に成功。

産業界の実力を示す時
 
強い自信を示す鍵本には、教訓としている出来事がある。1980年代、研究レベルでは日本が最先端をいっていたタンパク医薬が、市場的にはアメリカにリードを奪われたことだ。

「当時、1回数十万円もかかるタンパク医薬の注射は高価過ぎてビジネスにはならない、学者の夢に過ぎない“色物”のように見られていました。日本のアカデミアたちはタンパク医薬を産業化する仕組みを持ち合わせていなかったし、製薬企業もリスクを感じて二の足を踏んでいた。ところが、すでに多くのバイオベンチャーを誕生させてきたアメリカでは、リスクを取ってこれを事業化した。そして、蓋を開けてみると、タンパク医薬はリピーターを獲得し、ブロックバスター(大型新薬)ビジネスに育ちました。
 
危惧しているのは、今、日本で同じような状況が見えることです。iPS細胞という大発見がありながら、買収や投資を始める企業が増えてきたのは最近になってようやくです。人への投与に成功したのは我々が共同研究をしている理研のチームのみ。日本発のシーズを実用化で先んじられることがないよう、再生医療を我々の世代の新しい産業にしていきたい」

産業化の仕組みをすでに持ち合わせている米国勢に先を越されぬようにすることで、鍵本は日本経済を牽引していきたいと使命感に燃えている。

「国は薬事法を改正し、バトンは今、アカデミアから企業に渡りつつあります。これで産業化できなかったら、我々は国もアカデミアも責めることができません。産業界の責任になります。与えられたチャンスを逃すことなく、コミットメントして取り組み、5年後には日本がこれで飯が食えるめどをつけたい。そして100年産業に育てたい」
 
コミットメントにリスクはつきものだ。色物視されていたという前述のタンパク医薬を例にとるなら、ベンチャーに乗り出した企業も、医療機関も、そして患者自身もリスクを取ったのだ。最後はリスク•テイキングできるかどうかにかかっている。
 
リスク・テイキングを促すのは、他でもなくオプティミズムだろう。『投機バブル 根拠なき熱狂』の著者であり、ノーベル経済学賞受賞者であるイェール大学のロバート・シラー教授は言う。

「現在、世界経済は“長期停滞”という状況下、投資はあまり進んでおらず、オプティミズムを感じている国を探し出すのは難しい。こんな時思い出すのは1930年代、車市場への参入は正気の沙汰ではないとされながらも、自動車製造業を興したトヨタです。おそらく、“過剰な自信”が彼らに不可能と思える領域に挑戦させたのでしょう。今はそんな“過剰な自信”が重要な時なのかもしれません」
 
ヘリオスを“再生医療界のトヨタ”に育てることができるのか。鍵本の挑戦が試される。

飯塚真紀子 = 文

 

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