筆者は、いまいち振るわない日本経済の復活には「おーいの精神」が大事だと説く。
6月の下旬、東海道新幹線内で放火事件が起きた。ガソリンをかぶった容疑者の男が死亡したほか、一人の乗客が巻き添えになった。犠牲になった方はさぞかし無念だと思う。心よりご冥福をお祈り申し上げたい。
この事件では、年金の受給額に対する不満が自殺の一因とされている。これは臆測にすぎないが、本当の原因は“孤独”にあったのかもしれない。相談ができる、心を許せる仲間がいなかったことにも原因があるのではないか。
男はポリタンクを持って1号車まで歩いてきた。本当は止めてもらいたかったのではないか。テロをするために乗車したのではなく、なんとなく人との接点がほしかったのではないか。飛び込み自殺をする人も、通行人が多いところで飛び込むらしい。
以前、富士山の樹海で自殺をする人を防ぐためにパトロールをしている人の話を聞いたことがある。
「どうやって自殺をしようとする人を止めるんですか」
「簡単だよ、『おーい』って言うんです」
「それで思い止まるんですか?」
「はい、9割以上それで戻ってきます。本当は止めてもらいたいんです」
“絶望”とは、無関心から来るのだろうと思う。だから、ちょっとしたことでもいいから、関心をもつことがとても大事なのだ。
私自身が特に心がけていることがある。それは、店や乗り物、ちょっとでもかかわった人に声をかけたり、感謝の気持ちを伝えたりすることだ。コンビニで「ありがとう」。タクシーやみどりの窓口でも「ありがとう」。車掌さんや道を誘導しているおじさん、トイレの清掃員の方に「ありがとう」。
あるとき、デニーズで食べた「三元豚厚切り肩ロースのオーブン焼き」という新作料理がとてもおいしかった。ところが、給仕をしていた店員の感じが悪かった。ぶすっとしていて、それこそ「人生の終わり」のような顔つきをしていた。でも、その彼女に「この豚、おいしいねえ。調理している人にありがとうと伝えてね」と言うと、ぶすっとした表情が、まるでしおれていた花が一気に開花したかのような笑顔へと変わった。
「これは先週、導入されたんです。私はまだ食べてないんですけど、とてもおいしいということで紹介されました。そうやっておいしいと言っていただけると、私もうれしいです」と、びっくりするほどの早口で答えが返ってきた。「あ、この子、こんなにかわいい笑顔をするんだ」と思ったものだ。
わざわざ富士山の樹海まで行って死のうとする人を「おーい」の一言で止められる。ならば、もう少し軽症の人にはもっと何かできるかもしれない。
日頃、さまざまな現場で働いている人たちが誇りを持てるようにするには、顧客側の働きかけも大事だ。それが自分の得になるかどうかはともかく、その一言で気分が変わったり、一日がハッピーになったりすることはよくある。
「人への愛情と関心」が経済の根幹
私は投資家だ。投資家なので資金を投下して、一定以上の利回りを確保しなければいけない。私は日本株のファンドマネジャーなので、日本の企業に投資をする。短期的には株は相場の変動で儲けることができる。ギリシャや中国で大きな株価の下落があると、しばらく相場が乱高下する。確かに、そのような状況で的確に投資をすれば短期的に良い利回りが出るし、私はそのような手法を否定しない。
しかし、長期的にリターンを出すためには、投資している会社が価値を向上させないと実現できない。それは価値の向上が株価の向上になるという、当たり前の法則が株式市場で働いているからだ。
価値の向上とは、顧客の共感、すなわち「この会社の商品やサービスを受けるためにより多くのお金を払ってもいい」という思いによって支えられる。払う以上の価値があるということだ。そのためには、お客様からより多くの「ありがとう」を集めなければいけない。
そのような「ありがとう」を軸にして投資を考えるならば、日常の小さな買い物にも「ありがとう」を伝えていくことが大事だと思うし、また人の痛みにも敏感であるべきだ。
異論もあるだろうが、よりスマートな投資家になるには、よりスマートな消費者になるべきではないだろうか。スマートな消費者とは、「売買とは対等で、互いをリスペクトする関係であることを理解している消費者」のことだと私は考える。
そもそも経済とは、相互扶助の精神で成り立っているし、それは互恵関係ともいえる。互恵関係で大事なのは、人への愛情と関心だ。それがなければ、互恵関係は成り立たないだろう。
あの自殺したおじいさんに同情するわけではない。だが、その前に止めることができたのなら、とも思う。少なくとも、自分の周りでは「おーい」の精神を忘れないでおきたい。
日本経済がいまいち振るわないのは、互恵関係の希薄化にも一因があるのではないだろうか。「おーい」の復活は、より良い社会づくりと、経済の復活にほかならない。