1989年11月、旧東西両ドイツを28年にわたって隔てていた分断の象徴ともいうべきベルリンの壁が崩壊した。翌12月に取材で現地へ足を運んだ。
「あんなに美しい光景をこれまで見たことがなかった」
崩壊を祝う東西両ベルリンの人々が壁の上で踊る姿を目の当たりにした市民はこう振り返った。
ベルリンから南西に約160キロ。火薬、羅針盤とならんで「世界三大発明」と称される活版印刷の技術で有名な旧東ドイツのライプチヒにも足を伸ばした。ベルリンの壁の崩壊直前の10月に民主化を求める10万人規模のデモが起きた都市である。
移動に利用したのは旧東ドイツの国産車として知られた「トラバント」のタクシーだ。「トラバント」は「トラビ」の愛称で親しまれたクルマ。ボンネットを叩くと、簡単にへこんでしまう。
旧西ドイツのクルマといえば、ベンツやBMW。「衝突したらトラビはぺしゃんこ」と現地の人たちは口にしていた。乗車したトラビの助手席のドアをロックしたところ、ドライバーに「事故になったら逃げ出せないじゃないか……」と怪訝な顔をされたのを思い出す。
当時、旧東ドイツの市民が身にまとっていた服はきわめて質素だった。旧東ベルリン、ライプチヒのいずれの場所でも上下ともに同じ色のデニムという組み合わせが目立っていた。これに対し、旧西ベルリンの景色はモノトーンの旧東ベルリンとは異なるもので、オシャレを楽しむ市民も少なくなかった。
経済格差は誰の目にも明らかだった。それゆえ、街頭で多くの市民に話を聞くと、「東西ドイツ統一にはかなり、時間がかかるだろう」との見方が圧倒的に多かった。ところが、翌1990年10月、壁の崩壊から1年足らずで統一に至った。
旧東独地域でAfDが圧勝
それから34年余り。旧東西両ドイツに物理的な壁はもはや存在していないが、心理的、精神的な壁が残る現実を突きつけられた。
2月23日に実施されたドイツの連邦議会の選挙では、欧州連合(EU)離脱、移民排斥、ウクライナ支援停止などを標榜し、「極右」とも言われる右派政党の「ドイツのための選択肢(AfD)」が大躍進を遂げた。
得票率は20.8パーセントと2013年の結党以来、過去最高を記録。28.8パーセントを獲得したキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)に次いで第2党の座に躍り出た。
AfDが圧倒的な強さを示したのは、旧東ドイツの地域である。同地域のベルリンを除いた48の選挙区のうち、1位の得票率を記録することができなかったのはわずか2つにとどまる。
今回の選挙で争点になったのは、経済や移民・難民の問題。AfDの主張は経済情勢の厳しい地域で生活し、物価高や低所得に苦しむ多くの有権者の心をとらえた。