先ほど言ったとおり、子ども時代はプラモデルが好きだったのですが、途中からミニ四駆などの「動くもの」に魅力を感じるようになりました。だから、大学で機械設計や加工について学んだのは、あくまでも「自分の人生のため」ですね。
大学卒業後は、大手ゼネコン企業に就職しました。そこでは機械系の職種として、施工管理や大型機械の設置計画を考える仕事をしていました。その頃になっても、まだ「家業を継ぐ」ということはまったく考えていなかったです。
「自分のことだけ」ではいけない、「人の人生を背負う覚悟」を
──大手ゼネコン勤務という安定した職業から、なぜ家業である甲子化学工業への転職を考え始めたのでしょうか?2017年に30歳になり、人生を見つめなおす時期に差し掛かりました。将来のキャリアを考えると「今の仕事は、本当に自分が目指しているものなのだろうか」と悩むようになったんです。そのときにかけられたある一言が、大きな転機になりました。
──その一言とは?
伯母から言われた言葉なのですが、「自分だけが良ければ、良いわけじゃないんだよ」と。
本当に短い言葉でしたが、今思えば当時の私には、「大手企業から給料をいただいて、この先の人生も安泰だ」といったような、どこか慢心した態度が滲んでいたのだと思います。そこを見抜かれた気がして、自分の今後についてあらためて考えさせられました。
そこで、「祖父や父は、いろいろなものを背負って生きてきた。でも、自分は何も背負えていないんじゃないか」と、人生を見つめなおしたんです。
──創業者であるお祖父さまも「親族全体の暮らし」を背負って、甲子化学工業を創立したそうですね。
そうなんです。私は「後を継ぐのは嫌だ」とずっと思って生きてきましたが、心のどこかで会社のことが気になっていたのも本音でした。社会人として経験を積み、「今の私なら、会社のために何かできるかもしれない」と1年間よく考えて、甲子化学工業に入社する決意を固めました。
現場の“声”から生まれた自社製品
──2019年に「次期社長」として甲子化学工業に入社して、これまでどのような道のりを歩んできたのでしょうか。大学卒業後、大手ゼネコンに入社し、30歳を過ぎてから家業に戻りました。入社当初は、製造の現場を知るために製造部に配属されました。しかし、私が現場にいても会社は変わっていかない。そう考えて新しい道を模索しはじめたんです。
甲子化学工業は、オフィス家具向けのプラスチック部品の製造がメイン事業です。顧客から注文を受け、図面通りに部品を加工する。自動化により低価格と高品質を両立しているのが強みです。
しかし、受注生産というスタイルでは、これ以上の成長は見込めません。そこで新しい事業を開拓する必要があると考え、2020年から医療業界への参入を目指しました。
2020年は新型コロナウイルス感染症が拡大していた時期でした。リモートワークの増加でオフィス家具の需要が下がり、当社も売上の減少が見込まれていました。