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2024.11.20 13:15

世界のキタノ『たけし日本語学校』でベナン人青年が習った「言語以上」のこと

「ロボット工学を学ぶため留学を」。ミガン・アントニーが選んだ行き先


ベナンの経済都市コトヌー出身のミガン・アントニーは、アボメカラビ大学で電子工学を学んでおり、ロボット工学を学ぶため留学をしたいと考えていた。ベナン人の一般的な留学コースは、旧宗主国のフランスか、アメリカ、カナダである。しかし、彼はインターネットでロボットについて調べていくうちに、「驚くことばかりでした」と言う。世界の産業用ロボットの5割以上は日本で生産されているうえ、人口あたりの産業用ロボットの稼働台数は日本が世界1位、ロボット関連の特許出願数は世界2位。調べれば調べるほど、「日本で学ばずしてどうする!」という思いが募っていった。

問題は日本語がわからないことだ。ロボット技術は世界トップレベルだが、公用語はフランス語でも英語でもなく、世界でも使用人口が少ない日本語だ。ミガンが振り返る。
ミガン・アントニー氏
ミガン・アントニー氏
「当時、私は20歳でした。私は日本語を勉強したくて、ベナンの日本大使館にどうしたらいいかと電話をしたんです」。すると、大使館員が即答した。

「たけし日本語学校というのがありますよ」

アフリカでたった一つしかない日本語学校がベナンにあり、しかも、通学圏内であることはミガンにとって奇跡だった。さらに信じがたいことに、民間の学校でありながら、授業料は無料というではないか(中国の文化センターは登録料や月謝が必要)。ミガンは両親に「たけし日本語学校に行く」と言った。すると、両親はこう返した。

「ああ、映画監督の北野武ね」。「世界のキタノ」の映画はアフリカでも有名で、ゆえにすぐに理解してもらった。ついでにいうと、ベナンには2000年に設立された「たけし小学校」や09年設立の「所ジョージ小学校」などがあり、子供の就学率をあげるため、「給食支援サービス」を行っている。児童労働よりも学校に通学させるために「給食」を打ち出しているのだ。この仕組みをつくったのが、ゾマホンと北野武であり、所ジョージや日本の支援者たちである。給食サービスにより、料理をつくる人たちの雇用も創出している。

「たけし日本語学校」の生徒たち

「たけし日本語学校」の生徒たち

ミガンが「たけし日本語学校」での日々を振り返る。

「とにかく私は夢中になりました。平日だけではなく、土日も通うようになり、計5年通いました。石田先生という先生がとても熱心です。決して不満を言わず、忍耐強く教えてくださる。私は石田先生から学びたくて通ったようなものです。ひらがなとカタカナは半年ちょっとで覚えました」

付け加えると、ビートたけしが1986年に発表した曲「浅草キッド」も教えてもらい(*校歌というわけではない)、貧しい学生だったゾマホンと北野武が出会ったストーリーも石田先生に教えてもらい、その夢物語に「なんて国なんだ」と興奮した。

私(筆者)は、前述のNPOのIFE代表・山道昌幸に、「たけし日本語学校」の生徒が書いた論文を見せてもらったことがある。学校に通い始めて半年とは思えない日本語の文章だった。よほど秀才なのだろうと思ったら、山道によると「ゲームの『信長の野望』が好きな若者で、ゲームで日本語を覚えて、戦国武将の名前もほとんど覚えた」と言う。「言語の習得がうまい人は好奇心が強い人だと思います。アニメやゲームなど、夢中になれるものがある人の方が覚えるのが早いのかもしれません」。

世界に日本語学校の数は少ないが、アニメなどジャパニーズ・エンタメが日本語習得に貢献しているのだ。
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文=藤吉雅春 編集=石井節子

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