若手デザイナーたちが学んだこと
8月1日と2日、彼女たちが描いたねぷたの山車が、弘前の街なかを巡行。そこにはねぷたを曳く5人の姿があった。その1人が、大阪人間科学大学の助教で、個人でデザイナーやウェブマーケティング業を手掛ける森田望奈未(29歳)だ。神戸芸術工科大学を卒業したあと、居酒屋チェーン本社で働いていたときにウェブを使ったファンづくりを成功させた。
彼女は「鏡絵」と呼ばれるねぷたの前面の下絵づくりを担当。題材に選んだのが、源平合戦で平家敗北を決定づけた一の谷の戦い(神戸市須磨区)で、平家側の指揮官であった「平知盛(たいらのとももり)」だった。
これまでいろいろな経験を積んできたはずの森田だったが、今回初めて感じたことがたくさんあったと振り返る。「伝統的な祭りには、創造性が入り込む余地はありません。でも、どうにかして自分の個性を出せないかと考えました」と彼女は言う。
作業を進めるうち、「弘前ねぷたはこうあるべき」という文章化されていないルールが存在していると感じた。そこで、ねぷた絵師の三浦にいろいろ聞いて、ギリギリのラインを見極めながら、例えば本来は白いところを赤く塗るなど、自分なりにデフォルメをしていったという。
例えば、企業からポスターやテレビCMといった広告を受注したときに大切になるのが、どこまで攻めるとダメかというNGラインが会社ごとに異なっている。そんなときに「企業の方に逐次、相談しながら進めるのと今回の作業は同じでした」と彼女は言う。
どうやら伝統の世界と今のビジネス社会は、本質的に変わらないようなのだ。ただ、職人気質の三浦に聞いても「うまく回答は返ってこないのには苦労した」と笑いながら付け加えた。
一方で、神戸芸術工科大学ビジュアルデザイン学科の1年生という山口空純(あずみ、19歳)は、壇ノ浦の戦い(山口県下関市)で命を落とした安徳天皇、その母である建礼門院をねぷたの裏側に描いた。
高校のときは油絵が得意だった彼女は、進学を希望した大学に自分の手で描く学科がなくなったので、いまの学科に進学した。4月からパソコンでイラストレーターやフォトショップの使い方を学んでいるという。
彼女は「自分が好きなのは、やっぱり高校時代に描いた油絵のように特大サイズの作品をつくること、そして、パソコンの画面にではなく、自らの手で描くことだと、心の底から感じました」と話した。
今はAI(人工知能)が画像すら生成してしまう時代だ。だが、彼女たちの話を聞いていると、日本の伝統的な祭りと若手クリエイターのコラボは、きっと人間らしさが溢れる新しい作品を生み出す。それが人々の心を揺さぶるのではないか、そんなふうに感じた。
連載:地方発イノベーションの秘訣
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