その後、国立大学の授業料は3万6000円から9万6000円、30万円と立て続けに引き上げられ、2005年には53万5800円となった。だが、学生たちからの目立った集団的反対は盛り上がらず、彼らのいちばんの関心事は就職先となっていった。やがて時代はバブルを経て「失われた30年」に入っていったが、若者の多くは物わかりが良く温厚で、無益な争いなどしない、といった雰囲気を醸し出してきた。旧世代としては、賛否はともかく学生たちにはもう少し元気であってほしい気がする。
国立大学授業料の上げ幅は、この半世紀のモノやサービス価格の中で最大級である。消費者物価指数は3倍となり、例えばタクシー基本料金は3倍、ラーメンは5~6倍、値上げが相次ぐタバコは5倍になった。これらに対して、国立大学の授業料は15倍と桁違いである。
こんな物価の超劣等生をさらに値上げしようとはなぜなのか。その答えはある意味明確である。日本の大学の国際競争力が落ち、研究・教育のレベル低下が問題視されているうえ、諸物価の高騰だ。もっともっとお金が必要であるのに、大学への運営費交付金を中心とする公費支給は減らされ、自主財源といっても限界がある。対策は授業料の引き上げしかない。欧米に比べると日本の大学授業料は格段に安いのだから、少々引き上げるのもやむをえない……。
確かに悩ましいテーマである。
ここでもうひとつ考えなければならない論点が、地方国立大学ひいては地域社会・経済への影響だ。かつて地方国大は各地方の優秀な学生を集めていた。家計に余裕のない親でも、自宅通学が可能で、授業料が安い地元の国大であれば何とか通わせられる。すると、国大と私大の授業料格差が大きすぎるので国大の授業料を上げろ、という議論が現れた。
50年前、両者の差は7倍近かったが、昨今では1.7倍にまで縮まっている。国大の価格優位性は弱まり、とくに地方国大を直撃した。さらに若い人たちの強い都会志向と少子化とが相まって、親も子供一人くらいなら東京の有名私大に進学させてあげよう、となる。東京ならバイトの口も豊富にある。物価は高いが報酬も高い。卒業後の就職にも有利そうだ。