多様な外食シーンはここ10年くらいで
ウランバートルに実在するこれらの多国籍料理店を訪ねると、筆者も含めて日本人にはなかなか理解の難しいユーラシア圏の東方に位置するモンゴルの地政学的環境や文化的背景がうかがえる。ロシア料理店を除けば、モンゴルが民主化した1990年から10年後の2000年代に入ってからオープンしている店が多い。その理由について、ニンジンさんはモンゴル人の食の変遷という観点から、以下のように説明してくれた。
「私が子供の頃だった1970年代から1980年代にかけては、ソ連の影響が絶大でした。民主化以降の1990年代になると、一時期ソ連からの食糧輸入が止まり、苦難の時代でした。食券制で1家族1日パン1斤、ミルク1リットルといったぐあいでしたが、1990年代半ば頃から中国との関係が安定し、食糧輸入が始まりました」
彼女は「いまの若い世代はこのような苦難の時代を知らない」と話す。そして、次のように話を続けた。
「1990年代の後半くらいから、ウランバートルに在住する外国人も少しずつ増え、2000年代に入ると、日本をはじめとした海外の観光客が多数訪れるようになり、スペイン料理やメキシコ料理といった外国人向けのレストランも現れました。でも、当時はまだ地元モンゴルの人たちはそのような店に足を運ぶことはありませんでした。
大きく変わったのは、高度経済成長が続いた2010年代からで、ウランバートル市内にさまざまなタイプのレストランができて、モンゴルの人たちも外食するようになったのです。国内での野菜の生産も拡大し、4年から5年前から中国産野菜ではなく、国産野菜も食べられるようになりました。
またヨーロッパや韓国からの輸入食品も増え、スーパーにも並ぶようになりました。こうしてモンゴルの人たちの食生活が大きく変わっていったのです」
このニンジンさんの話からも、ユーラシアの多国籍料理も含め現在のウランバートルの多様な外食シーンは、ここ10年くらいに出現してきたことがわかる。実は、2000年代初めにモンゴルを訪ねた人が、筆者の前回のコラムを読んで「当時のウランバートルではボウズかホーショールくらいしか食べた記憶がなかったのに……」と驚いていたが、それも無理もない話だった。
今回の取材でひとつだけ残念だったことがある。ウランバートルにあるカザフスタン料理の店を訪ねられなかっことだ。
「カザフ人はモンゴルの少数民族で、人口は5パーセントほど。カザフスタン国境に近いモンゴル西部のバヤンウルギー県に多く住んでいますが、ウランバートル市内にもいくつかレストランがあります」(ニンジンさん)
カザフスタン料理といえば、塩茹でした羊肉か馬肉と野菜入りのスープで食べる麺料理の「ベシュバルマック」が名物だという。
これまで紹介したウランバートルの多国籍料理店のウエイトレスは、アゼルバイジャン料理店も含め、全員がカザフ人だった。モンゴル社会における彼女たちの存在についてもっと知りたくなった。次回はぜひ訪ねてみたい。