食&酒

2024.08.21 16:15

モンゴルだからこそ出会えるユーラシアの多国籍料理を食べ歩く

アゼルバイジャン料理の店「アゼルバイジャン・カラバフ・レストラン・モンゴリア」の料理

そして今回の取材でいちばん驚いたのは、アゼルバイジャン料理の店「アゼルバイジャン・カラバフ・レストラン・モンゴリア(Azarbaijan Karabakh Restaurant Mongolia)」だった。
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アゼルバイジャン料理店の陽気なオーナーとシェフ

アゼルバイジャン料理の店「アゼルバイジャン・カラバフ・レストラン・モンゴリア」の陽気なオーナーとシェフ

紛争地だった「カラバフ」という地名を店名に使うことについては、知的なモンゴル人は必ずしも好意的ではないかもしれない

紛争地だった「カラバフ」という地名を店名に使うことについては、知的なモンゴル人は必ずしも好意的ではないかもしれない

2024年4月にオープンしたばかりだが、オーナーは、2023年9月、アゼルバイジャン内陸部のアルメニア住民の多いカラバフ地方で起きた軍事衝突に従軍した帰還兵だった。アゼルバイジャンに住む彼の父親に出資してもらい、店を開いたという。

わき腹の銃創を筆者にいきなり見せて、彼は陽気に笑いながら「日本人は大歓迎だ」と話しかけてきた。そして、注文してもいない料理をいくつかサービスしてくれたのだった。ゆえに料理名が不明なものもあるが、手前から時計回りに次のように並ぶ(記事冒頭の写真を参照)。

ドルマ(ブドウの葉の肉の詰め物)
羊のケバブ
チョパンサラダ(「羊飼いのサラダ」と呼ばれるトルコ風サラダ)
プロフ
ボズバシュ(アゼルバイジャンの国民的スープ)ほか
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筆者はアゼルバイジャン料理を極東ロシアのウラジオストクやハバロフスクのレストランで食べたことがある。こうしたことからも、かつてモンゴルも旧ソ連圏の一部だったことがわかるのである。

インド料理店「ハザーラレストラン(Hazara Restaurant)」は、ユーラシアつながりではないのだが、その出店経緯を聞くと、興味深かった。

オープンは1997年で、この街の外食の歴史からすればかなり黎明期の店ともいえる。インド人のオーナーが、モンゴルに来たのは民主化の翌年の1991年だったという。当時イギリスの化粧石鹸やヘアケア製品のLUXの営業マンだったが、引退後、ウランバートルに残り、この店を始めたのだという。

荘厳な雰囲気さえ感じさせるインド料理店「ハザールレストラン」の内装

荘厳な雰囲気さえ感じさせるインド料理店「ハザーラレストラン」の内装

「ハザールレストラン」は日本人にもなじみのある北インド料理の店

「ハザーラレストラン」のインド人シェフとウエイトレス。彼女はカザフ人である

彼は「モンゴルは民主主義の国、インドや日本と同じ仲間だ」と筆者に話しかけてきた。店内には、リチャード・ギアをはじめとした欧米の有名人が多数来店した写真が貼られていた。もっとも、前述のニンジンさんは「インド料理はモンゴル人の好みには合わないせいか、この店の客層は海外から来た人たちが多いようだ」とそっと教えてくれた。

この店では、北インド料理をメインに提供しており、以下のようなメニューを注文した。

バターチキンカレー
ローガンジョシュ(カシミール風の真っ赤なカレー)
チキンティッカ(骨なしのタンドリーチキン)

シェフは仏教の聖地でもあるガヤー出身で、ウエイトレスはこの店でもカザフ人だった。
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文=中村正人、写真=佐藤憲一、取材協力=JICAモンゴル、HISモンゴル

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