作家・ジャーナリストの森健氏に以下、追悼のご寄稿をいただいた。
オースターを愛した読者たち
4月30日、米国の作家、ポール・オースターがなくなった。
肺がんによる合併症、享年77歳。報道を目にすると、まだ早いだろう……というつぶやきが自然と漏れた。
世界でも彼の死を惜しむ声が無数にあがった。
<文学は本質的に孤独だ。それは孤独に書かれ、孤独に読まれ、にもかかわらず、ものを読むという行為は二人の人間のコミュニケーションを可能にする>(Xより。原文は英語)
そうオースターの言葉を引用したバルカン半島の女性もいれば、「メタルギア」シリーズなどで世界的に知られるゲームクリエイターの小島秀夫氏はこう投稿した。
<とてもショックです。私は彼の初期の作品『孤独の発明』から2000年頃までの作品、ニューヨーク三部作を含むすべての作品を読みました。彼は私が非常に影響を受けた作家の一人です。安らかにお眠りください>(Xより。原文は英語)
TBSのキャスター、松原耕二氏もXでこう記していた。
<ポール・オースターがなくなった。作品の中ではぼくは何と言っても「鍵のかかった部屋」、休みの日に電車に乗って読み始めたらやめられなくなり、その日の用事を全て辞めて、電車を降りてカフェに入りそのまま読み終えた。そこで初めて外が暗くなっていることに気づいた>
私も同じ本で同じような経験をしていた。
オースターは1947年、米ニュージャージー州に生まれ、石油タンカーの乗組員などを経て、1985年、38歳で『シティ・オブ・グラス』を発表。遅咲きながら、そこから次第に認知されていった。
オースターを愛した人たちはけっしてマスではなかっただろう。少なくともオースターは、J.K.ローリングのような大ヒット作家ではなかったし、スティーブン・キングほど知られてもいなかった。また、世界的な文学賞もとっていなかった("4 3 2 1"という作品は英ブッカー賞候補にはなった)。地元ブルックリンやニューヨークをこよなく愛し、そこを主な舞台に小説やエッセイを書き続けた。
それでも、彼の作品はきわめて文学的であったし、そんな彼の作品を深く愛してきた読者たちがいた。だからこそ、日本では彼の作品は30冊近く、そのほとんどが翻訳、出版されてきた。この翻訳作品の多さだけでも、日本にどれくらいのファンがいたかがうかがい知れる。
なぜ彼の作品はそこまで愛されてきたのだろう。代表作をもとに個人的な経験も踏まえて、振り返ってみたい。
ダイナミズムと不条理が混在、かきたてられる「思索的興奮」
私がはじめに読んだのは2作目の作品『幽霊たち』だった。書き出しから印象的だった。
<まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる>(柴田元幸訳)
舞台脚本のト書きのような抽象的な文章(実際に本書の原型は脚本だった)。違和感を飲み込んだうえで、読み進めると、間もなく作品の中に取り込まれていった。ニューヨークの一室。真向かいの部屋にいるブラックを見張るよう依頼され、ブルーはブラックを見張り続ける。依頼したのは変装していたホワイトだ。だが、ブルーが連日監視していてもブラックは何かを書いているだけで、何の変化もない。ブルーはそのレポートを書かねばならないが、月日が経つうちに不安や疑問を抱いてくる──。
文庫本にして120ページほどの小品。読み切ったときに湧き起こる感覚は不可思議かつ不条理でありながら、思索的な興奮があった。何かを書いている人の行動を監視している側は、自らも書いている。構造を広げると、この小説を書いている作者がいて、それを読んでいる読者がいる。それはすべて書く人、読む人の自己言及でもあり、入れ子構造にもなっていた。テーマとなっていたのは、「自分とは誰か、自分とは何か」という存在論的なものだ。頭のなかで作品の意味をあれこれと吟味しているうちに、この作家の魅力に気がついた。
『幽霊たち』が「ニューヨーク三部作」と呼ばれる連作の2作目であることを知り、1作目の『シティ・オブ・グラス(ガラスの街)』、3作目の『鍵のかかった部屋』を続けて読んだ。『シティ・オブ・グラス』は『幽霊たち』ほど抽象的ではなく、物語の具体性は増すが、テーマは通底していた。
<それは間違い電話で始まった。真夜中に三回かかってきたが、相手が話したかったのは彼ではなかった>(山本楡美子、郷原宏訳)
本書もまた書き出しに強いフックがあった。