しかし、ふたりが揃えて価値を置くのは、結果が出なくても前進していける情熱だという。
米サンフランシスコを拠点に世界で活躍し、公私ともに交流のあるふたりのアーティストが、次世代に伝えたい「働く」とは。
堤大介(以下、堤):僕は高校まで日本にいたのですが、野球が大好きだった。弱い学校だったし、僕も特に上手なほうではなかったのですが、野球に対する真剣度や練習の量は甲子園球児に負けないほどだった。弱いチームなのでどんなに頑張っても負け続ける、しかもボロ負けする。でも、自分が情熱をもてることに対して結果にかかわらずがむしゃらに取り組む、ということを養いました。
アメリカに行ってから絵を学び始め、有名な美大に入ったときも、周りにすごくうまくて真剣に取り組んでいる人はたくさんいたけど、恐らくそのなかでもいちばん絵を描いていた。成績が悪いとか、周りに比べて上手じゃないとかは僕にとってはあまり関係がなかった。やり続けるプロセスに喜びを感じられた。
よく、多くの人は好きなことが見つからないと聞くんですけど、本当は見つかっているのだと思う。でも、結果が出ないから好きではなくなってしまう。小さいころから、結果や、人と比べて上手なことを褒められ続けると、結果が出ないと「楽しくない」となってしまう。僕はたまたまそういう環境ではないところにいたのだと思います。
藤井はるか(以下、藤井):面白いですね。私の場合は、母・藤井むつ子がマリンバ奏者として有名で、マリンバという楽器一点を突き詰めていく人だった。小さいころは反抗して、マリンバなんか絶対やらないと思ったし、ジュリアード音楽院に進んでパーカッショニストとしてキャリアを築くことになったときも、私も「“これ”というのを見つけないと」というプレッシャーが常にあった。でもやっぱりわからないから今目の前にある興味のある楽器をひとつ選んでうまくなるまで集中し、次はまた別のものを選ぶ、ということをやっていた。(音楽家として)薄く広くなるのではとの不安もあったが、楽器によって一つひとつ違うことができて、引き出しが増えていくことが楽しくなってきた。
次第に引き出しの中身も深くなり、そのおかげでいろいろできる人材を探していた「ザ・シルクロード・アンサンブル」に声をかけてもらえました。そこではパーカッションと文化に興味を引かれていった。パーカッションはどこから来たのだろう、自分はなぜそれをやるんだろう、と掘り下げていくと、自分の言いたいことや伝えたいことがより深く、強くなっていきました。
堤:僕は美大卒業後アニメーションの世界に入って、ピクサーではアートディレクターの経験もさせてもらった。とても大好きな仕事だったのですが、30代なかごろにふとしたことがきっかけで「自分は何のために絵を描いているんだろう」と思うことがあった。「なぜ」に答えるためには、自分の作品をつくらなければいけないのでは、という衝動に駆られ、同僚のロバート・コンドウと休み時間や週末を使って、いわゆる自主制作で作ったのが『ダム・キーパー』という短編アニメーション映画でした。