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2024.05.01 19:00

イタリア人はルールに基づいて遅刻する。彼らが「最後はなぜかうまくいく」理由

『最後はなぜかうまくいくイタリア人』(宮嶋勲著、2018年、日経ビジネス人文庫)

『最後はなぜかうまくいくイタリア人』(宮嶋勲著、2018年、日経ビジネス人文庫)

最後はなぜかうまくいくイタリア人』(宮嶋勲著、2018年、日経ビジネス人文庫)という本がなぜかいま、売れに売れている。
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13歳からイタリアに暮らし、イタリア事情に詳しい長谷川悠里氏に本書について以下、ご寄稿いただいた。


彼らは“正確なルールに基づいて遅れる”


ややもすれば忘れてしまう。イタリアという国が9800キロも遠くにあることを。わたしたちはこの国の見えない“ルール”を、ほんとうはよく知らない。

この本は「イタリア人の法則」を言語化する試みである。著者である宮嶋氏はワインの専門家で、日伊を往来すること三十年あまり。年に百日以上を、かの地で過ごす。
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イタリア人が時間について話したら、“読み換え”をしたほうがいい。20時に来てくださいと言われたら、20時30分くらいに行くと、むしろ礼儀にかなっている。彼らがある場所まで1時間かかると言ったら、1時間半かかるということだ。イタリア人が“正確なルールに基づいて遅れる”ことを知っていれば、トラブルも防げるし、腹も立たなくなるだろう。

「人生における寄り道」を語る章では、彼らの人生への向き合い方も浮き彫りになる。あるワインの試飲会に、著者は、ひとりのイタリア人と車で向かった。大切な予定だから、なんとしても間に合わせたい。渋滞も発生していることだし、昼食は簡単なパニーノで片付けるしかない。

でも同伴するイタリア人は、“トスカーナ地方の美味しいレストランを探そう”と言い始めるのだ。フルコースだって食べちゃう。出てくるワインもなかなかいい。そうだ、ワイナリーに行って生産者に話を聞いてみよう。大丈夫、サッと切りあげるんだからさ……。

Getty Images

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いつだってイタリア人は、そんな楽観的観測の泥沼に、相手を引きずり込んでしまう。著者は焦るばかりだが、さすがは“なぜか最後はうまくいくイタリア人”、F1レーサー並みに車を飛ばして間に合ってしまう。気づけば、いいワイナリーも取材できたし、なんて有益な一日だったのだろう!

イタリアでは「危機状況が常態化」している


そもそも「目標」とはなんだろう? たかだか数十年生きただけの、ヒトの脳が拵えたものでしかない。

では「寄り道」とはなんだろう。

それは神様の思し召しである。ひとの道はあまたの人生と交わり、寄った道中で起こることが、いずこから派生したものかなどわからない。人生における“寄り道”とはそういうものだ。

そもそもイタリア人は古代ローマの遺跡に溶け込んで生活している。二千年前から続く悠久の時の価値を、日々、目で味わい、身体で感じている。

予測のつかないことにこそ、無限の可能性があり、遠い場所へ行けたりするのだ。ヒトが拵えた目的地など、むしろ通過点に過ぎない。

こんな風にイタリアでは、自由に伸び縮みする時間の物差しで、みんなが寄り道をしたり、ときには目的そのものを忘れちゃったりするから、「危機状況が常態化」しているのである。なんだか、悪夢のような国である。

でも、だれがどんなヘマをしようとも、解決するまで馬鹿力を出し合う。もうここらへんにして明日にしよう、なんて空気はだれも読んでくれない。みんなで何時まででも頑張れる。

そうなのだ。その社会は、お互いの対応力への信頼と、人間が不完全であることへの深い慈悲から成り立っている。わたしたちは、ロボットではない。失敗ばかりして、あまり学ぼうともしない、ポンコツコンピューターなのだから。イタリアはキリスト教国家であり、バティカンにその総本山がある。イタリア人が幼い頃から、右の頬を打たれたら左も向けよ、と教わることも忘れてはならない。

幸せに溶け合っていた「仕事の時間」と「私の時間」


そんな寄り道の達人たちは、資本主義の形だって、人間のために優しくチューニングしてしまう。

イタリアの職人文化においては、ひとつのものを手塩にかけて、一から百まで自らの手で育てることが好まれる。そこから生まれたものには、人間らしい情愛がこもっている。仕事とはそうあるべきなのかもしれない。

ここで著者はフォルクスワーゲンとフェラーリの違いをあげる。イタリア人は大工場で規格化された製品を大量に生産するよりも、一台一台が異なる、世界でひとつだけの芸術品を創り上げるほうが性に合っている。古くはダ・ヴィンチだってあらゆる思考へ達することのできる、博識の「なんでも屋さん」だった。全人格とその内面、人生を表現するものが仕事であり、その表出こそが労働の結実であった。

Getty Images

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だからこの本を読んだ読者は思う。ここに帰りたい、と。

たとえばかつては日本でも、駄菓子屋のおばあちゃんのなかで、「仕事の時間」と「私の時間」は、幸せに溶け合っていた。子供たちと遊び、おしゃべりをして、そのなかで駄菓子を売るという仕事もする。

あの懐かしい風景のなかに、まだイタリア人は暮らしているようなのだ。

なぜいまこの本が売れているのか。わたしたちは、どこかに帰りたいのだ。仕事の企画書も、学校のレポートも、イケてる奴はChatGPTを使っている。いまひとびとは膨大なデータを処理できる脳へと寄り添い、自らをデータ化し、処理される対象物となろうとしている。AIを賞賛し、人間の模型を妄信しようとしているその時流のなかで。

この本が不思議に売れ出したのは、ChatGPTが公開された、その翌年のことである。


宮嶋勲著、2018年、日経ビジネス人文庫

宮嶋勲著、2018年、日経ビジネス人文庫








長谷川悠里(はせがわ・ゆり)◎エルゴン・ジャパン代表取締役。慶応義塾大学非常勤講師。イタリア ボローニャ国立大学卒業。ミラノ国立大学大学院修了。司馬遼太郎奨励賞。大学ではイタリア文学や言語文化を教える。2018年イタリアで50年の歴史を持つグローバル・コスメティックブランド「eLGON」の日本国内での正規直営店を運営するエルゴン・ジャパン設立。著書に『ダンテの遺言』(朝日新聞出版)ほか。

文=長谷川悠里 編集=石井節子

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