経営・戦略

2024.05.07 13:30

再開発で反転攻勢。渋谷に発展のサクラ咲く

ところで、構造改革を進めるなかで意識していたことがある。

「お客様と従業員にとっていちばんいいかたちは何かを考えました。そうすることが、すべての人にとっていい結果になると思ったからです」

この考えは、果たしてどこで育まれたのか。西川のキャリアを振り返ってみよう。東急不動産に入社後に担当したのは、長野県で開発予定のゴルフ場の用地取得。800人に及ぶ地主を一人ひとり説得して回ったが、最初は門前払いばかりだった。

「『売ればもうかります』と言った瞬間に信頼を失う。大切なのは、社会的意義があるか。そもそも社会的課題を解決しないものは事業として成り立たないことを学びました」

用地取得後は開業まで見届けた。次の案件が控えていたが、先輩から「施設がどのように運営されているのか現場を見ろ」と助言を受け、開業後1カ月はオペレーションに入った。このやり方はほかの施設開発でも貫き、スキー場開発ではパトロール、ニセコ開発ではホテルのベッドメイキングに従事。自分が手がけたものを顧客の視点から見る習慣はこのとき身についた。

従業員の幸せを意識するようになったのは、バブル崩壊後、人事課長として人員整理を手がけてからだ。「再雇用されるのは限られた方だけ。大先輩に向かって『あなたは再雇用できません』と告げるのはつらかった。墓場までもっていかなくてはいけない話がたくさんあります」

このとき西川が痛感したことがある。強いコア事業を複数もつことの大切さだ。当時、東急不動産が大規模なリストラを免れたのは、グループ内に東急リバブルや東急コミュニティーといった成長企業があり、雇用を吸収してくれたからだった。今回の構造改革の背景にも、「私たちの手がける事業領域は幅広い。それを単なる“特徴”から“強み”へと変えてこそ従業員を守れる」という思いがあった。

例えば、不動産事業のほか、「再生可能エネルギー」「インバウンド」「海外」の3つを新たなコア事業として育てていく。14年から始めた再生可能エネルギー事業は、すでに原発1基分以上の発電能力を実現している。「北海道松前町では12基の風力発電を運営。地元では“わが町”の特産品として再生可能エネルギーが認知されつつある。地方創生にもつながり、さらに成長させていきます」

西川はほかの事業についてもそれぞれ社会的意義を強調した。その語り口は、渋谷の再開発について語るときに勝るとも劣らぬ熱が込められていた。


にしかわ・ひろのり◎1958年生まれ、北海道出身。82年慶應義塾大学経済学部卒業後、東急不動産入社。2014年取締役、17年ホールディングス取締役、同年東急不動産代表取締役を経て、20年より現職。21年東急不動産取締役会長も兼任。

文=村上 敬 写真=苅部太郎

この記事は 「Forbes JAPAN 2024年5月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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