KOTOBUKI Medical。2018年創業、医師の外科手術トレーニングで使用される、コンニャク粉から作られた模擬臓器の開発メーカーだ。Forbes JAPAN主催「HEALTHCARE CREATION AWARD 2023」で、未来の日本を率いる医療企業の1社として選ばれた企業でもある。
2019年には、株式投資型クラウドファンディング「FUNDINNO」で同ファンディング史上最高額の9000万円も達成したほか、ジョンソン エンド ジョンソンはじめ、世界最大手の医療機器メーカーとの契約を次々と実現している。
現社長、高山成一郎氏の父、高山駿寿氏が東京・足立で創業した下請け町工場が前身という同社が、まったく畑違いの医療分野、しかも超ニッチ分野に乗り入れ、やがて外国人医師たちの目を輝かせる高品質の「医療用模擬臓器」で海外進出にも成功するまでの背景には、思いもかけない物語があった。
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町工場から「KOTOBUKI」の物語は始まった
高山成一郎氏が家業として40年以上続いた町工場から事業を独立させ、手術用トレーニング用品メーカーとして別法人を立ち上げた際には、前身である「寿技研」の「寿」を捨て、英語社名にする案も上がったという。しかし、結局はあえて「寿=KOTOBUKI」を残すことになる。NINTENDOが「ゲーム」、Nikonが「カメラ」、Kawasakiが「バイク」の普通名詞となったように、KOTOBUKIを「手術トレーニング用品」の代名詞にしよう──。そう誓い合ったスタート時点の記録、刻印としての命名だったのである。
──高山現社長は、父が興したその「寿工業」の町工場のかたすみで、機械のモーター駆動音を聞きながら遊んで育った。
高山氏は回想する。「3歳の頃は、自宅から200メートルくらいの『高山製作所』に三輪車で行っては工場の中に入り、床に落ちている鉄の破片やなんかを拾って遊んでいました。生活環境の中にあった遊び場がすなわち、製造の現場だったんです。それに『ねじ1本しめたら10円小遣いやる』とか言われて、物心つかぬうちから知らず知らず、ものづくりの片棒を担がされていた(笑)」。
ポスト「ミニ四駆特需」で取引先・銀行に頭下げる日々──
そして父が足立から埼玉・八潮に工場兼自宅を移した後は、さらに職住隣接。まさにものづくりと軒を接した青春時代を過ごすことになる。そして1989年、小学館『月刊コロコロコミック』で四輪駆動車の模型を題材にした漫画「ダッシュ! 四駆郎 」が大人気となり、いわゆる「ミニ四駆ブーム」が起きる。寿技研もこの恩恵を受け、ミニ四駆タイヤの製造受注がひっきりなし、という「ミニ四駆特需」時代を享受することになった。
だがそんな時期もやがて去り、寿技研の売上げはブーム時の10分の1にも落ち込む。高山氏は父の命を受けて得意先をかけまわって頭を下げたり、銀行に融資申し込みに行ったりした。ピンチの時代である。
追い討ちは社屋全焼とリーマンショック
そして、文字通り追い討ちをかけるように、工場内装工事の溶接の火の粉が壁をつたって屋根裏にまわりこんだことが原因で社屋が全焼する、という悲劇が高山一家を襲う。その不運にもめげず、依頼されたどんな仕事も受ける「取引先に従順な」会社として得意先から重宝されてなんとか経営を続ける日々のなか、さらに社屋全焼から9年後の2008年、リーマンショックが勃発。高山社長はかつての「ポストミニ四駆特需」の時代にも増して客先を繁く駆け回り、発注を無心するが、どの得意先も等しく経営難で苦しく、仕事はさっぱり取れない。
その頃、銀行に融資申し込みに行って言われた、もっとも悔しかった言葉は何か? と高山氏に問うてみると、こんな答えが返ってきた。
「『ここまで落ち込んだ会社が復活する例は見たこともない。そんなに無理しなくてもいいんですよ』と言われたことがあった。さすがに悔しかったので、よく覚えていますよ」
このとき高山氏は、「これまでの成功の法則はいったんすべてリセットしないとたち行かない」ことを悟ったという。すなわち、発注者にいわれるがままの下請けから転身し、「自社製品、自社のブランドで勝負するしかない」と考えるようになったのだ。
だが、一気呵成にとはいかない。さまざまな製品で起死回生をはかるも、どれもあたらないのだ。苦しむままに3年が経ったある日、八潮の小学校時代の同級生の大手医療機器メーカーの友人から、医療現場では腹腔鏡手術を行う医師が増えているのに、トレーニングの方法がない、という話を聞く。
調べると当時、腹腔鏡手術練習用のトレーニングボックスは40万円程度する高価なものだった。だから医師たちは、お腹に開ける穴の位置はここらへん、という具合にダンボール箱に自ら穴を開けたり、ホームセンターでアクリル板を買っては自前の練習ボックスを作っていたのだ。そして講習会のたび、治療や手術の方法や医療情報の更新のほかに、「トレーニングボックスの作り方(「こういう材料で、これくらいの間隔で穴をあけるとよい」)」も講習、情報交換していた。先輩医師らが若い医師に、「君たち、家に帰ったらまず練習道具を作りなさい、 作ったら毎日これで練習しなさい」と教えていたのである。
そんな環境下、もしも2、3万円程度のトレーニングボックスが作れればかならず売れる。高山氏は瞬間、「寿技研が今まで培ってきた技術を動員すれば十分に実現可能だ」と確信した。すぐに同級生のサポートで医師が手作りしたものをサンプルとして手に入れ、試作品製作を開始したのである。
さらには実際に外科医にもヒヤリングし、意見を取り入れながら完成した「腹腔鏡トレーニングボックス」は大成功した。
しかし、トレーニングボックスは繰り返し使える。次なる発想は「消耗品の開発もできれば、事業成長に貢献してくれるのでは」だった。
誕生! 「縫える」コンニャク
そこで誕生したのが、「コンニャク製模擬臓器」だ。きっかけは、「食中毒が原因でレバ刺しが禁止され、代替品として生レバーの風味と外観に似せて作られたコンニャクが提供されている」というニュースだった(注:食品衛生法の定めにより、平成27年6月12日から豚の肉や内臓を生食用として販売・提供することが禁止された)。
そして2年という時間と1000通り以上の試作品を経て、2017年、ついに、コンニャク由来の模擬臓器、VTT(Versatile Training Tissue:どんな形も色も再現出来るトレーニング用の組織)が完成した。
2018年のFIME(Florida International Medical Expo)(57万におよぶi医療従事者、ヘルスケア領域の専門企業、ディストリビューターによって組織される国際的コミュニティー((同展HP https://www.fimeshow.com/en/home.html から)))では、アメリカ、ドイツ、エクアドル、メキシコ、トリニダード・トバゴ、エチオピア、中国、韓国、台湾、コロンビア、ブラジル、カナダ、ソマリア、イタリア、ペルー、パナマなどからの来場者がいずれも製品を見てぱっと目を輝かせ、「自分の国で紹介したい」と言ったという。
高山氏は言う。「これまで多くの先達がすぐれた製品を世界に向けて発信し、その甲斐あって日本は世界有数のものづくり大国といわれたこともあった。私も先輩達のように、自らが開発した製品を世界に発信したいと思ってものづくりを続けてきましたが、ようやくその思いが海を越えて届き始めたと感じています。この実感に力を得て、原点の思いである『ものづくりで世界へ』を基軸に、挑戦し続けたいですね」。
※「HEALTHCARE CREATION AWARD 2023」に高山成一郎氏が登壇、自身の言葉で語ります。
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