ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスが国境を接する無人地帯では1990年代、ロシアがイスラム主義民兵組織の拡大を助長し、この武装組織は1999年以降ウズベキスタン国内で繰り返し過激派攻撃を実行した。そう、ロシアがである。その経緯はすべて著名なパキスタン人ジャーナリスト、アハメド・ラシードの著書『Jihad: The Rise of Militant Islam In Central Asia(聖戦:中央アジアにおける過激派イスラム勢力の台頭)』に記されている。ロシアがイスラム過激派の勢力拡大に関与しているというのは意外に感じるかもしれないが。
ウズベキスタンは国境を封鎖し、民主化を停止し、西側諸国を締め出し、国境沿いにロシア兵をとどめ、ソ連崩壊後の典型的な独裁者に何年も国を統治させた。ロシア政府にとっては、取引が可能な相手だった。だからこそ、部外者が中央アジア諸国について書く場合、人権問題を追及するときは、それが重要な問題であるにせよ、事情にきわめて精通していなければならないのだ。
元植民地を不安定化させるロシアの常套手段は、争いをけしかけることに始まり、建前上は人権を擁護し、分離主義を生み出し、特定の集団の「保護」を掲げて介入するというものだ。まさに、クレムリンがウクライナでロシア語話者を「保護」するために繰り返し行ってきたことだ。
ロシアの脅威におびえる旧ソ連諸国の当局は、手厳しく不透明なかたちで物事を処理する傾向がある。官僚や警察は旧ソ連のやり方で運営されがちだ。この組み合わせはトラブルの火種になりやすく、西側のオブザーバーやロシア工作員の批判を招きやすい。