食&酒

2023.05.06

現代アートの真の価値|大林剛郎×小山薫堂スペシャル対談(前編)

放送作家・脚本家の小山薫堂が経営する会員制ビストロ「blank」に、大林組代表取締役会長の大林剛郎さんが訪れました。スペシャル対談第8回(前編)。


小山薫堂(以下、小山):大林グループのフレンチレストラン「ルポンドシエル」が、昨年(2022年)12月に大阪・淀屋橋へと移転しました。僕は新店舗のプロデュースを担当したのですが、時間をかけた店づくりが本当に楽しかったです。

大林剛郎(以下、大林): その節は本当にありがとうございました。

小山:店自体は1973年開業なので、今年50周年なんですよね。

大林:ええ、大阪大林ビル(現北浜NEXUビル)の最上階でスタートしました。

小山:50年も前に「大阪に本格的なフレンチを」と考えられたのは、大林組の精神として「文化の種を蒔こう」という想いが強かったのではないですか。

大林:最初はいまのような本格フレンチではなく、洋食屋さんだったんです。開業のいちばんの理由は、父の大阪市民への恩返し。大阪大林ビルは西日本初の超高層ビルでしたし、「大林組は大阪でたいへんお世話になった会社だから、大阪の方々が気軽に大阪の景色を見られるフロアをつくりたい」と思ったそうです。

小山:普通だと展望台ですよね。それがなぜレストランに?

大林:そのころ、父がサンフランシスコのバンク・オブ・アメリカセンターを訪れると、52階、つまり最上階に「カーネリアンルーム」というレストランがあったそうで。

小山:なるほど。当時の大阪市民はさぞかし喜んだでしょうね。本格的なフレンチを始めたのはいつですか。

大林:開業後、わりとすぐです。料理研究家の辻静雄さんにリヨンのレストランを紹介していただき、料理を監修してもらいました。インテリアもフランス大使館から紹介されたフランス人建築家にデザインしてもらって、店舗リニューアルを行いました。

小山:店名は最初からですか?

大林:最初は違ったと思いますが、フランス文学者の河盛好蔵先生が「ここは天神橋、つまり“天架ける橋”だからLe Pont de Cielにしたらよい」とおっしゃったとか。

小山:本筋の方々が初期からかかわっていたんですね。

大林:ありがたいことです。ただ、50年続いたといっても、弊社も事業再編するなかで「ルポンドシエルのような非採算部門は切り離したほうがよい」という声もあったんです。ただ、やはりこれは大林組の歴史であり文化だから、と続けてきました。

小山:僕もレストランや料亭の経営を何軒かやってきているのでわかりますが、お客様に誠実になればなるほど、レストランというのは儲かりませんよね。一方で、「儲かるかどうか」から離れないかぎり、文化というのは持続できないとも感じます。
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写真=金 洋秀

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