彼らが発見したのは、ミイラ化した凍結死体だった。その後「エッツィ」と名づけられた「アイスマン」は、世界で最も有名なミイラの一体となった。
エッツィの着衣と持っていた武器は、紀元前3200年代の彼らの生活を垣間見せるものだった。そして、エッツィの体は研究者たちに、タトゥーと薬物治療の歴史に関する新たな知見を与えるものとなった。
エッツィは、25〜35歳で死んだとみられている。その体には、厳しい環境下で生きていたことを示す痕跡が残されていた。脊椎や膝、足首の状態から、エッツィは関節炎を起こしていた可能性があるとみられている──エッツィのような何千年も前のハンターたちは、関節炎の痛みにどのように対処していたのだろうか?
60以上のタトゥーを確認
エッツィの体を詳しく調べた研究者たちは、彼の背中と脚の皮膚に、青灰色の細かい線が刻まれていることに気づいた。エッツィには、合わせて61のタトゥーがあった。皮膚に刻み込まれた色素は、古代に医療行為が行われていたことを示しているのだろうか?人類学と医療の専門家たちはジャーナル『Inflammopharmacology(インフラモファーマコロジー)』に発表した論文で「背中と脚の『医療用』タトゥーが入っている場所は、慢性痛があったとみられる右膝と右足首の部分に直接、対応する場所だ」と述べている。
つまり、エッツィの体に刻まれた線や点の多くは、ケガをした部位や関節の痛みがある部位の近くにある。人類学者の間には、エッツィは痛みを和らげる「鍼治療のようなもの」として、入れ墨をしていたのではないかとみられている。
人類学者のラース・クルタクは、エッツィのタトゥーには針治療との関連性があるとして、著書で次のように述べている。
「信じられないことに、エッツィのタトゥーのおよそ80%は、このアイスマンを悩ませていたリウマチの治療で使われる中国伝統医療の針治療のツボ(経穴)と重なっている」