また、ソフトウェアで作成された文章を検出する技術を開発する企業もあり、技術的な反撃も行われている。
しかし、肝心なのは、ChatGPTやその他の文章作成アルゴリズムがなくなるわけではないということだ。黙示録ではないが、何でもないわけでもない。何よりも、学校で作文を教える教師にとって、これは、慎重かつ思慮深い考察をするチャンスだ。
これまで作文の指導は、アルゴリズムに従うように生徒を指導することがあまりに多かった。エッセイは5つの段落で構成される。最初の段落はメインアイデアに関する文章で始め、3つの段落でアイデアをサポートし、結論で締めくくる。各段落には、アイデアを述べ、それを裏づける詳細を示す3〜5行の文章を記入する。あるいは、冒頭のテーゼステートメントを書き換えることで、テストに出題されるエッセイに答える。
これはフォーマット、テンプレート、アルゴリズムと呼ばれるものたちだ。学校では、文章を構成すること、順序立てて文章を作ること、文章を演技的な「輪っか跳びのダンス」として扱うことを生徒に教えてきた。つまり学校では、文章を判断するアルゴリズムを満たすように作文を組み立てるよう生徒に教えてきたのだ。そして、このアルゴリズムは、人間でもソフトウェアでも、ほとんど違いがない。
今、私たちはこの種の文章が、文字どおり何を書いているのか理解できないソフトウェアの一部によって、見事とはいえないまでも、そこそこうまく仕上げることができることをはっきりと理解する。もしこのような文章が、頭の中に何1つ考えていない機械によって書けるのであれば、私たちが生徒に求めてきたことは何だったのだろう。
エッセイの基本的な構成要素は文章であると生徒にいってきた教師もいる。しかし、ソフトウェアはかなり注文どおりに文章を作ることができる。私はキャリアを通じて、小論文の基本的な構成要素は文章ではなく、アイデアであると主張してきた。