作文アルゴリズム、文の仕組み、文法はすべてその役割を担っている。建築家がハンマーと釘打ち機、ドライバーと巻尺の違いを知る必要があるように、若い作家は自分の道具を知ることで利益を得ることができる。しかし、私たちは建築家を仕事の質で判断するのであって、ハンマーをどれだけうまく持てるかで判断するのではない。
ChatGPTは、終わらせてはいけないライティング指導を終わらせることはない。パフォーマンスではなく、本当の意味でのライティングは、個人的なものであり、書き手の思考やアイデアから発展するものだ。そして、ライティング指導はそこに焦点を当てるべきだ。クラスでの議論や興味から有機的に課題を発展させよう。エッセイの採点は、5つの段落のテンプレートをいかにうまく埋めたかではなく、生徒がいかにアイデアをうまく伝えたかで行おう。
ChatGPTやその他の言語ソフトウェアは役立つ。これらは、プロンプトの質をテストするために使用することができる。もしソフトウェアが合格点の作文を作成できるのであれば、なぜ学生にそれをさせるのか。
そして皮肉なことに、より多くの人がChatGPTで遊ぶにつれ、プログラムからより良い結果を得るためには、ユーザー自身がエッセイを書くために使うべき指示を詳細に考えなければならないことが明らかになりつつある。ChatGPTは「とりあえずハックルベリー・フィンについて書いてみよう」と思ってエッセイに取り組むと、平凡なものができてしまうということを、ダイナミックに証明してくれている。エッセイに何を書きたいか、何を伝えたいか、どのように伝えたいかをよく考えれば、たとえアプリに単語を並べるという面倒な作業をさせたとしても、よりよい結果を得ることができる。
書くことに関する問題のほとんどは、実は考えることの問題だ。考えることの問題は、ソフトウェアではまったく解決できない問題なのだ。
もし教師が、生徒がChatGPTで「不正をする」ことを懸念しているなら、その答えは、個人的な、考えることに焦点を当てた課題を与えることだ。もう、文章を書くアルゴリズムに従うことを生徒に教える必要はない。そのためのアプリがある。
(forbes.com 原文)