レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像から新種の酵母発見

レオナルド・ダ・ヴィンチが1515年頃に描いた自画像と酵母菌「Blastobotrys davincii」の電子顕微鏡写真(GETTY IMAGES/VISAGIE ET AL. 2022/YEAST)

酵母である「Blastobotrys」属の新しい種が、意外な場所に隠れている菌類の世界的調査で発見された。カビ類とは異なり、この酵母はコロニー化してハウスダストのような乾燥した基質を形成し、そのミイラ化した残骸がイタリア・ルネッサンス時代の巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチが1515年に描いた有名な自画像に残されていた。発見後、研究チームはこの新種を時代を切り拓いた芸術家であっただけでなく、熱心な博物学者、地質学者でもあったダ・ヴィンチに捧げようと決め、「Blastobotrys davincii」と命名した

ダ・ヴィンチの私的覚書は1万ページ以上保存されており、大部分が1470年から1519年にかけてのものだ。その中には、彼のトスカーナ、ロマーニャ、アルプスへの旅の道中に観察した露頭や岩石の記録もある。ダ・ヴィンチは技術者としても、アペニン山脈とポー平原の沈殿物を切り拓く大規模な灌漑用水路の建設を監督した。彼の化石に対する情熱は広く知られており、ミラノ滞在時には、スケッチのために人々が袋いっぱいの石化した貝殻を持ってくることさえあった。


ダ・ヴィンチによる岩石の形成を研究したスケッチ(Getty Images)

ダ・ヴィンチは、堆積岩の起源を解明した最初の博物家の1人であり、化石がかつて生きていた動物の石化した残骸であることを認識していた。彼は砂岩の形成過程について、古代の海岸に沿って堆積した砂層が固化したものであり、岩石の中で発見された「nicchi」(小さな貝。ダ・ヴィンチが化石のことをこう呼んでいた)は「砂層が乾燥する前にそこを這い回っていたイモムシの痕跡」であると説明した。ダ・ヴィンチは、山々を構成する岩石がかつて海に沈んでいて地殻変動によって隆起したことも最初に理解した。水の侵食力も知っていて、川によって削り出された岩石の突起が最終的に砂利、そして肥沃な土壌になることを自身の絵画で示している。彼のこれらの洞察は、ヨーロッパの科学界を2世紀近く先んじていた。

ダ・ヴィンチが岩石を研究していたのは、個人的好奇心を満たすためだけではなく、自身の絵画に磨きをかけるためでもあった。1473年8月、彼がまだ21歳の時に描かれた現存する最古のダ・ヴィンチ作品には、フィレンツェ近くのアルノ渓谷と思われる景色が描かれており、ダ・ヴィンチはそこにあるヴィンチという小さな村で生まれた。


1473年に描かれた「トスカーナの丘」の風景画(Getty Images)

ダ・ヴィンチ作品における岩石や地形の使い方に感銘を受けたドイツの画家アルブレヒト・デューラーをはじめとする当時代の芸術家たちはすぐにこれを取り入れ、新しい手法を世に広めた。

forbes.com 原文

翻訳=高橋信夫

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